父が母に奉仕していた直伝の松葉崩し[アダルト体験]
- 2014/08/07
- 07:32
親が若くして結婚し、息子が早々と嫁さんをもらうと、親子二代で同じ屋根の下でオマンコタイムになる、
特に最近は五十すぎても母親が老けないので余計そうなる。と言う家庭も多いかな。
うちも割と早く父親が結婚して私が出来たので、今老若ダブルキッチン状態である。
親がオマンコをやってる事は中学生の時感づいたが、私が高校受験のときは勉強部屋に下が親の寝室なのでさすがに遠慮してたみたいであった
入学とともに再開、そっと階段を下りて営みを覗きにいったりした。
当時、父が40で母が35だからまだ派手にやっていた。夏なんかエアコンもまだなかったし、窓を開け、カーテンだけ引いて風を入れないと暑くてやれなかったのだろう。
田舎で庭も広かったから覗かれる恐れもないし。上に居ると木造家屋だから親が話し込んでいる気配を知るとそ〜っとおりて庭に回り、ヤブ蚊に刺されながらカーテンの隙から常夜灯のともる親の寝室を覗いた。
母は垂れ気味のオッパイむき出し下は赤い腰巻きで、父は丸裸で敷きふとんの上に寝転がっている。
父も片手が腰巻きをまさぐっている。母の片手が父の股間をマッサージしている。そのうちに腰紐が解かれ、脚と脚をからませあい、おっぱいを揉みながら、片手はオマンコに伸びる。
会話はエロい話ではなく、近所の世間話を母がするのを父が黙って聞きながら、だんだん母の股間を拡げさせ、盛大にオマンコを撫でたり、さすったり、母の片手もマッサージからチンポをむいたり、しごいたり、そのうちどちらからとも無く、交わりの体勢に。
母は仰向きになり、自然に軽く股を開き、父は母の足元に寄り、おもむろに脚を持ち上げて180度に押し広げ、股間の湿り具合?を指で確かめ、両手で左右にオマンコを押し広げ、クンニ体勢にもってゆく。
母の満足げなため息があがって母の腰がもじもじしだすと母の両脚を肩にかつぎ、全開させたオマンコに直立しているチンポを真上から少しずつめり込ませてゆき、オマンコにチンポがなじんだ頃合いを計って盛大に九浅三深のリズムで母に奉仕し始める。
時々腰をねじこんでみたり、その度に母の小さい「ひゃ〜」という声があがったり、父「ええやろ」母「ええわ〜♥」父「もっと、ようしてもらいたいか」母「ようして〜♥」父「よ〜し、」
父は母の両脚を母の肩位まで押し曲げ自分の両手両足を突っ張らせ(これが松葉崩しかな?)結合部分を自分で覗き、母にも覗くよう促し、小声で「小夜子好きやで」と云いながら、ズボッ,ズボッと入れ始めると、母は股間を覗きながら「いやらしいわ〜ぁ」と、、
父は「おまえがいやらしいことしてぇ〜といったやないか、やらしいいうのはきもちいいでもっとして〜ということやろ」
そのうちにズボッ、ビチャッ、ズボッ、ビチャッと結合部分が夫と妻の愛の二重奏を奏で始めた。と思う間もなく、父は激しく腰を振り始め、「、、、、」と母にうめくとオマンコに何度もチンポをこすりつけると往ってしまった。
何度か覗いたがこの晩ほど理想的?な夫婦の営みを見たのはなかった。
しばらくたって、父から私と二人だけのときに、ぼそっと「のぞいたのをいいいとはいわんけど、お母さんにいうなよ、息子に見られたとわかったらかわいそうやからな」といわれた。「それだけや、おまえももうすぐ嫁さんをもらわならん」と。
それから十年ほどたって私も縁あって見合い結婚した。
夫婦生活の指導書も読んだが、何より親の夫婦生活が頭にしみ込んでいるので、アノ通りやっている。
専業主婦の妻の昼間あった話を聞きながら、オマンコをいじくりながら、妻にはチンポを握らせ、つまが催してきたら、妻に股間を開かせ、湿り具合を確かめながらクンニで奉仕、ほしがり始めたら本戯に移り、最後は愛の言葉をささやきながら深〜く突き刺して絶頂に持ってゆく。
手を取って父に伝授してもらったわけではないが、父が母に奉仕していた直伝の松葉崩しが我が家の伝統の性戯として私にも引き継がれている。
今はどうか分からないが、新婚当初は親夫婦と息子夫婦で上と下でズボズボ、アフン,アッフ〜ンやってたと思う。
何せ、父母は四十すぎてもアツアツでお仲がよろしかったから。たぶん、父も私と同様、妻以外おんなを知らない。今時、古めかしい三十年代のはなしである。
★★★おすすめのエッチな体験談★★★
特に最近は五十すぎても母親が老けないので余計そうなる。と言う家庭も多いかな。
うちも割と早く父親が結婚して私が出来たので、今老若ダブルキッチン状態である。
親がオマンコをやってる事は中学生の時感づいたが、私が高校受験のときは勉強部屋に下が親の寝室なのでさすがに遠慮してたみたいであった
入学とともに再開、そっと階段を下りて営みを覗きにいったりした。
当時、父が40で母が35だからまだ派手にやっていた。夏なんかエアコンもまだなかったし、窓を開け、カーテンだけ引いて風を入れないと暑くてやれなかったのだろう。
田舎で庭も広かったから覗かれる恐れもないし。上に居ると木造家屋だから親が話し込んでいる気配を知るとそ〜っとおりて庭に回り、ヤブ蚊に刺されながらカーテンの隙から常夜灯のともる親の寝室を覗いた。
母は垂れ気味のオッパイむき出し下は赤い腰巻きで、父は丸裸で敷きふとんの上に寝転がっている。
父も片手が腰巻きをまさぐっている。母の片手が父の股間をマッサージしている。そのうちに腰紐が解かれ、脚と脚をからませあい、おっぱいを揉みながら、片手はオマンコに伸びる。
会話はエロい話ではなく、近所の世間話を母がするのを父が黙って聞きながら、だんだん母の股間を拡げさせ、盛大にオマンコを撫でたり、さすったり、母の片手もマッサージからチンポをむいたり、しごいたり、そのうちどちらからとも無く、交わりの体勢に。
母は仰向きになり、自然に軽く股を開き、父は母の足元に寄り、おもむろに脚を持ち上げて180度に押し広げ、股間の湿り具合?を指で確かめ、両手で左右にオマンコを押し広げ、クンニ体勢にもってゆく。
母の満足げなため息があがって母の腰がもじもじしだすと母の両脚を肩にかつぎ、全開させたオマンコに直立しているチンポを真上から少しずつめり込ませてゆき、オマンコにチンポがなじんだ頃合いを計って盛大に九浅三深のリズムで母に奉仕し始める。
時々腰をねじこんでみたり、その度に母の小さい「ひゃ〜」という声があがったり、父「ええやろ」母「ええわ〜♥」父「もっと、ようしてもらいたいか」母「ようして〜♥」父「よ〜し、」
父は母の両脚を母の肩位まで押し曲げ自分の両手両足を突っ張らせ(これが松葉崩しかな?)結合部分を自分で覗き、母にも覗くよう促し、小声で「小夜子好きやで」と云いながら、ズボッ,ズボッと入れ始めると、母は股間を覗きながら「いやらしいわ〜ぁ」と、、
父は「おまえがいやらしいことしてぇ〜といったやないか、やらしいいうのはきもちいいでもっとして〜ということやろ」
そのうちにズボッ、ビチャッ、ズボッ、ビチャッと結合部分が夫と妻の愛の二重奏を奏で始めた。と思う間もなく、父は激しく腰を振り始め、「、、、、」と母にうめくとオマンコに何度もチンポをこすりつけると往ってしまった。
何度か覗いたがこの晩ほど理想的?な夫婦の営みを見たのはなかった。
しばらくたって、父から私と二人だけのときに、ぼそっと「のぞいたのをいいいとはいわんけど、お母さんにいうなよ、息子に見られたとわかったらかわいそうやからな」といわれた。「それだけや、おまえももうすぐ嫁さんをもらわならん」と。
それから十年ほどたって私も縁あって見合い結婚した。
夫婦生活の指導書も読んだが、何より親の夫婦生活が頭にしみ込んでいるので、アノ通りやっている。
専業主婦の妻の昼間あった話を聞きながら、オマンコをいじくりながら、妻にはチンポを握らせ、つまが催してきたら、妻に股間を開かせ、湿り具合を確かめながらクンニで奉仕、ほしがり始めたら本戯に移り、最後は愛の言葉をささやきながら深〜く突き刺して絶頂に持ってゆく。
手を取って父に伝授してもらったわけではないが、父が母に奉仕していた直伝の松葉崩しが我が家の伝統の性戯として私にも引き継がれている。
今はどうか分からないが、新婚当初は親夫婦と息子夫婦で上と下でズボズボ、アフン,アッフ〜ンやってたと思う。
何せ、父母は四十すぎてもアツアツでお仲がよろしかったから。たぶん、父も私と同様、妻以外おんなを知らない。今時、古めかしい三十年代のはなしである。