会社が倒産し妻にも逃げられた私を、母が救ってくれました
- 2021/07/17
- 00:04
私は43歳、母は67歳。
2年ほど前から母と息子ではなく夫婦のような関係にあります。
私は30歳で会社を辞め自分の会社を興しました。
死に物狂いで働いてどんどん業績が上がり、若い女房をめとって大きな家も高級外車も手に入れました。このまま順風満帆と思っていましたが7年目にリーマーショックが発生。
経営に行き詰まり、それから1年も待たずに倒産しました。
家も車も手放し、少なからぬ借金が残りました。
それからはアパート暮らしで、昼間は派遣社員、夜は居酒屋でバイトをし稼ぎの殆んどは借金の返済に回しました。
お嬢様育ちの女房がパートで得た収入だけでカツカツの生活です。
そんなことが続けられるはずもなく、「私、もう耐えられません。実家に帰らせてもらいます」との言葉を残し離婚です。
(一年半後「再婚して今は幸せです」の手紙をもらいました)
離婚したことを母に知らせると、「一人暮らしならアパート代ももったいないでしょう? 帰ってきなさい」と声をかけられました。
父はその5年前に他界し、弟はアメリカ勤務、妹は結婚して博多に住んでいますので、母は一人暮らしのため、その言葉に甘えることにしました。
まさか、違う意味で色々と甘えることになろうとは思ってもみませんでしたが・・・
実家のある都市はそこそこの都会ですので、そこで就職先を見つければ良いと考えていましたが、自分のプライドから高望みしたせいか、なかなか採用が決まりません。
三か月目になると気持ちも荒れて酒に逃げるようになりました。
おまけに酔うと暴力までは振るいませんが、母に対して暴言を吐くようなことも続きました。
その頃は真夏でしたが、冷房の設定温度を高めにしたため、私はパンツとシャツで過ごし、母もタンクトップにショートパンツという裸に近い恰好で目の前をうろうろしています。
イライラとムラムラが重なり、次第に我慢ができなくなりました。
昔から長いことテニスで鍛えていた母の体はまだたるんでおらず、かなり色っぽいのです。
もともと私は性欲が強く、三日に一度は女房や遊び相手のお姉ちゃんを抱いていました。
特にストレスが溜まると激しいSEXで紛らわすことが多くて、その点は女房には嫌がられていたところもあります。
中高生のころは母を犯す妄想をズリネタにしていたこともあり、欲望が頂点に達してしまいました。
ある晩、母が寝静まった頃を見計らって寝室に忍び込みました。
タオルケットそっとめくり母の胸に触ろうとした途端、目が合いました。
すると母は体をずらし、隣に私が横になるだけのスペースを開けたではありませんか。
戸惑いましたが「なんだ母さんも俺とやりたかったのか」とうれしくなり、横に滑り込みました。
母は私の頬を両手で掴み、チュッと軽くキスをしました。
調子に乗った私は母のパジャマの上着をめくり、垂れた乳房をもてあそびながら乳首を加えました。
乳首を吸いながら手を母の下半身に移し、パジャマのズボンとショーツを下げようとすると自ら腰を浮かしてくれました。
あそこはまだ乾いていましたがクリをいじっていると次第に濡れて来て、最初は指一本、しばらくして2本が入りました。
中指と薬指で膣内を掻き上げるようにこすり、親指の関節のところでクリを刺激したらビクン、ビクンと反応します。
激しく指を出し入れしたらついに小さな声で「イク~ッ」とうめきました。
指に着いた愛液をペニスに塗りつけ、M字に開いた股間に挿入すると抱き付いてきました。
しかし腰を激しく突き動かしていたら久しぶりのSEXからか5分ほどで射精してしまいました。
しまった、もったいないと思いながら柔らかくなったペニスを抜いたところ、今度は母が体を入れ替えてドロドロになったペニスをくわえました。
ジュルジュル、ジュージューと激しく吸い上げる母のフェラチオに、再びムクムクと元気になります。
二回戦目は40分ほど保ち、母を何度も絶頂に送ってやることができました。
抱き合って眠り込み、明け方に目が覚めると体中ベトベトになっていましたので、起きだしてシャワーを浴びました。
すると母も入ってきて私の体をシャワーで流してくれます。
「何だよ、したかったら早く言えば良かったのに」
ニヤニヤしながら私がそういうと、母はシャワーのノズルで私の頭をひっぱたき、蛇口を思い切りひねって冷水を体に浴びせました。
「あんた、相当な馬鹿よね。そんなデリカシーの無い男だから香織さんも愛想尽かすのよ」
母の眼は本当に怒っていました。
「あんたが私の胸や太ももをちらちら見ているのは知っていたわよ。このままじゃそのうち寝室に忍び込んでくるだろうって予想もついた。でもね、その時私が拒絶したら自暴自棄になってるあんたが何をするか心配だったのよ」
少し泣きそうな声で母は続けました。
「首でも吊られたら嫌だし、もしその時が来たら優しく相手をしてやろうと決めたのよ。どんだけ迷ったかわかる?」
その言葉に私はジーンとなってしまいました。
「最後にお父さんとしてから7年ぶりくらいだから、あそこはひりひりするし、明日は体中筋肉痛ね」
そんなあっけらかんとした態度に心から救われました。
それから気を取り直して就活を続け、無事そこそこ大きな会社の正社員として採用されました。
私の経歴が重宝され、今は楽しく仕事をしています。
おまけに母は父の残した株券や手つかずだった保険金などを投げ打って、私の借金の2/3以上を返してくれました。
おかげで転貸等を利用し、毎月それほど無理のない額で10年での返済計画もめどが立ちました。
感謝しても感謝しきれません。
「二人ともすっからかんになったのだから、もう怖いもの無しね。あとは死ぬまで楽しみましょう」
そう言ってくれて、SEX三昧の生活に突入しました。
私のリクエストに応え、裸エプロンで台所に立ってくれるし、休みの日はカーテンを閉め切ってエロ下着のまま過ごしてくれます。
最近ではアナルの快感にも目覚めたようです。
正常位でつながったままお尻に手を回し、中指をアナルに入れて直腸越しに私のペニスを押し上げながらピストンすると訳の分からないよがり声をあげて果てます。
お風呂にマットを敷いて「月に一度の贅沢だね」と言って、ボトル一本を使い切ってのローションプレイもお気に入りのようです。
ヌルヌルすぎて壁に頭や足をぶつけて、今どんな体位になってるかわからないほど絡み会うと、最高な快感です。
「そんなに声を出したら風呂の窓から近所に聞こえるんじゃないか」と言うと「なによ、もう怖いものなんかない無いっていったでしょ」と笑います。
ホルモンバランスが整ったのか、母の肌はつやつやしてきて、ますます色気が増してきました。
考えてみれば、ストレスで胃がきりきりなりながら大金を稼いでいた頃より、同僚に恵まれゆったりとしながら母との愛に溺れる今の方がどれだけ幸せでしょう。
「あと十年は相手をしてあげるからね」と母は言います。
その頃は借金も返し終わっているでしょうから、そうしたら老後をゆっくりと過ごさせてやるつもりです。
★★★おすすめのエッチな体験談★★★
2年ほど前から母と息子ではなく夫婦のような関係にあります。
私は30歳で会社を辞め自分の会社を興しました。
死に物狂いで働いてどんどん業績が上がり、若い女房をめとって大きな家も高級外車も手に入れました。このまま順風満帆と思っていましたが7年目にリーマーショックが発生。
経営に行き詰まり、それから1年も待たずに倒産しました。
家も車も手放し、少なからぬ借金が残りました。
それからはアパート暮らしで、昼間は派遣社員、夜は居酒屋でバイトをし稼ぎの殆んどは借金の返済に回しました。
お嬢様育ちの女房がパートで得た収入だけでカツカツの生活です。
そんなことが続けられるはずもなく、「私、もう耐えられません。実家に帰らせてもらいます」との言葉を残し離婚です。
(一年半後「再婚して今は幸せです」の手紙をもらいました)
離婚したことを母に知らせると、「一人暮らしならアパート代ももったいないでしょう? 帰ってきなさい」と声をかけられました。
父はその5年前に他界し、弟はアメリカ勤務、妹は結婚して博多に住んでいますので、母は一人暮らしのため、その言葉に甘えることにしました。
まさか、違う意味で色々と甘えることになろうとは思ってもみませんでしたが・・・
実家のある都市はそこそこの都会ですので、そこで就職先を見つければ良いと考えていましたが、自分のプライドから高望みしたせいか、なかなか採用が決まりません。
三か月目になると気持ちも荒れて酒に逃げるようになりました。
おまけに酔うと暴力までは振るいませんが、母に対して暴言を吐くようなことも続きました。
その頃は真夏でしたが、冷房の設定温度を高めにしたため、私はパンツとシャツで過ごし、母もタンクトップにショートパンツという裸に近い恰好で目の前をうろうろしています。
イライラとムラムラが重なり、次第に我慢ができなくなりました。
昔から長いことテニスで鍛えていた母の体はまだたるんでおらず、かなり色っぽいのです。
もともと私は性欲が強く、三日に一度は女房や遊び相手のお姉ちゃんを抱いていました。
特にストレスが溜まると激しいSEXで紛らわすことが多くて、その点は女房には嫌がられていたところもあります。
中高生のころは母を犯す妄想をズリネタにしていたこともあり、欲望が頂点に達してしまいました。
ある晩、母が寝静まった頃を見計らって寝室に忍び込みました。
タオルケットそっとめくり母の胸に触ろうとした途端、目が合いました。
すると母は体をずらし、隣に私が横になるだけのスペースを開けたではありませんか。
戸惑いましたが「なんだ母さんも俺とやりたかったのか」とうれしくなり、横に滑り込みました。
母は私の頬を両手で掴み、チュッと軽くキスをしました。
調子に乗った私は母のパジャマの上着をめくり、垂れた乳房をもてあそびながら乳首を加えました。
乳首を吸いながら手を母の下半身に移し、パジャマのズボンとショーツを下げようとすると自ら腰を浮かしてくれました。
あそこはまだ乾いていましたがクリをいじっていると次第に濡れて来て、最初は指一本、しばらくして2本が入りました。
中指と薬指で膣内を掻き上げるようにこすり、親指の関節のところでクリを刺激したらビクン、ビクンと反応します。
激しく指を出し入れしたらついに小さな声で「イク~ッ」とうめきました。
指に着いた愛液をペニスに塗りつけ、M字に開いた股間に挿入すると抱き付いてきました。
しかし腰を激しく突き動かしていたら久しぶりのSEXからか5分ほどで射精してしまいました。
しまった、もったいないと思いながら柔らかくなったペニスを抜いたところ、今度は母が体を入れ替えてドロドロになったペニスをくわえました。
ジュルジュル、ジュージューと激しく吸い上げる母のフェラチオに、再びムクムクと元気になります。
二回戦目は40分ほど保ち、母を何度も絶頂に送ってやることができました。
抱き合って眠り込み、明け方に目が覚めると体中ベトベトになっていましたので、起きだしてシャワーを浴びました。
すると母も入ってきて私の体をシャワーで流してくれます。
「何だよ、したかったら早く言えば良かったのに」
ニヤニヤしながら私がそういうと、母はシャワーのノズルで私の頭をひっぱたき、蛇口を思い切りひねって冷水を体に浴びせました。
「あんた、相当な馬鹿よね。そんなデリカシーの無い男だから香織さんも愛想尽かすのよ」
母の眼は本当に怒っていました。
「あんたが私の胸や太ももをちらちら見ているのは知っていたわよ。このままじゃそのうち寝室に忍び込んでくるだろうって予想もついた。でもね、その時私が拒絶したら自暴自棄になってるあんたが何をするか心配だったのよ」
少し泣きそうな声で母は続けました。
「首でも吊られたら嫌だし、もしその時が来たら優しく相手をしてやろうと決めたのよ。どんだけ迷ったかわかる?」
その言葉に私はジーンとなってしまいました。
「最後にお父さんとしてから7年ぶりくらいだから、あそこはひりひりするし、明日は体中筋肉痛ね」
そんなあっけらかんとした態度に心から救われました。
それから気を取り直して就活を続け、無事そこそこ大きな会社の正社員として採用されました。
私の経歴が重宝され、今は楽しく仕事をしています。
おまけに母は父の残した株券や手つかずだった保険金などを投げ打って、私の借金の2/3以上を返してくれました。
おかげで転貸等を利用し、毎月それほど無理のない額で10年での返済計画もめどが立ちました。
感謝しても感謝しきれません。
「二人ともすっからかんになったのだから、もう怖いもの無しね。あとは死ぬまで楽しみましょう」
そう言ってくれて、SEX三昧の生活に突入しました。
私のリクエストに応え、裸エプロンで台所に立ってくれるし、休みの日はカーテンを閉め切ってエロ下着のまま過ごしてくれます。
最近ではアナルの快感にも目覚めたようです。
正常位でつながったままお尻に手を回し、中指をアナルに入れて直腸越しに私のペニスを押し上げながらピストンすると訳の分からないよがり声をあげて果てます。
お風呂にマットを敷いて「月に一度の贅沢だね」と言って、ボトル一本を使い切ってのローションプレイもお気に入りのようです。
ヌルヌルすぎて壁に頭や足をぶつけて、今どんな体位になってるかわからないほど絡み会うと、最高な快感です。
「そんなに声を出したら風呂の窓から近所に聞こえるんじゃないか」と言うと「なによ、もう怖いものなんかない無いっていったでしょ」と笑います。
ホルモンバランスが整ったのか、母の肌はつやつやしてきて、ますます色気が増してきました。
考えてみれば、ストレスで胃がきりきりなりながら大金を稼いでいた頃より、同僚に恵まれゆったりとしながら母との愛に溺れる今の方がどれだけ幸せでしょう。
「あと十年は相手をしてあげるからね」と母は言います。
その頃は借金も返し終わっているでしょうから、そうしたら老後をゆっくりと過ごさせてやるつもりです。