何度も同じ様にオジサン達が私の中に吐き出したのです...
- 2019/01/03
- 00:06
25歳のOLです。今から8年前の高校2年の夏、まだ処女だった時の事でした。
父が他所の女と再婚する為に両親が離婚した直後の夏休みに、母に連れられ露天風呂のある山あいの温泉旅館に連れて行かれた時の出来事でした。
チェックインした後2人で近くの山を散策し、全身から噴出した汗を流す為に温泉に入ったのです。
そんなに広くもないけど麓の町を一望できる展望風呂に母と入っていた時、 外へ通じるドアを見つけ、露天風呂を発見し、沢山の大きな岩で囲まれた浴槽(?)まで10m程石の階段を下り、お風呂で何気ない会話をしていました。
母は当時39歳、今で言う所の「ボン・キュッ・ボン」的なスタイル、それに比べ私はまだAカップの貧乳でした。
程なくして数人の男性の声が聞こえてきましたが、近くに男湯があるのだと思い込んで聞き流していました。
母と私は下りて来た階段の方へお尻を突き出す様な格好で景色に見入っていました。
何か妙な気配を感じ振り返ると沢山のオジサン達に囲まれていて、あまりの驚きに声も出ませんでした。
既に見られた胸を隠しうずくまる事しか出来ず、母も同様でした。
オジサン達は軽く出来上がっていて、怯える私たちに対しハイテンションで襲い掛かって来たのでした。
2・3人程のオジサンが母を洗い場に連れ出すと沢山の手が私の両手足だけでなく、 頭・腋の下・胸・お尻を瞬く間に押さえ込み、両脚を広げると恥ずかしい所を眺められ、指で広げては代わる代わる舌を這わせて来ました。
「イヤー!止めて!ママ助けて!」と何度も泣き叫びましたが、母の姿を見る事が出来ず、「止めなさい!娘から手を放しなさい!」と聞こえるだけで、母も身動きが取れなくなっていた様でした。
オジサン達はどんどんエスカレートし、初めて目にした性器を握らされて強引にフェラチオをさせられ、次々と全身に精子を浴びされたり、呑まされました。
暫くすると私たちは脱衣場に連れて行かれ、濡れた素肌に直に浴衣を纏わされてオジサン達の部屋へ連行されたのでした。
母がオジサン達と取引し、私にだけは手を出さない様に約束をしてくれました。
部屋へ着くと私は帯で縛られ、自由を奪われました。そんな私の前で10人以上のオジサンが次々と母をレ××しました。
母も最初は私の手前嫌そうに受け入れていたのですが、私を犯すと脅され続けられ、気持ちの篭った声を出させられたり、上になって自ら腰を動かさせられ、挙句にお尻の穴まで入れられる始末で、私はただ怯え、震え、涙を流すだけでした。
とっても長い時間を過ごしていた時でした。1人のオジサンが私にフェラチオを強要し、髪の毛を鷲掴みして嫌がる私の口にねじ込んで来ました。
次第に私の周囲にオジサンが増え、私は縛られたまま浴衣を捲られ、胸もアソコも舌が這い、悔しいけど感じて来ました。
次々と「乳首がたって来た」とか「濡れて来た」とか卑猥な声と笑い声が聞こえます。
オナニーさえした事のなかった私にオジサン達から受ける刺激は耐えられたものではありません。
傍らでは私のピンチに気付かずに腰を振って卑猥な声を出す母の痴態があり、私も次第に腰が動き出してしまい、それを見逃すオジサン達ではなかったのでした。
アソコに舌とは違った感触を感じると、好きな人に捧げたい一身で守り続けた処女を一気に奪われました。
鈍い痛みが続く中最初のオジサンは動きを早めると、お腹の中に熱い衝撃を感じ、 私の上でぐったりして縮んだ性器を抜き取ったのでした。
それから何度も同じ様にオジサン達が私の中に吐き出したのです。
いつしか私も本気で母と同じ様に声を出し、上になったり、四つん這いになったり、いろんな格好をさせられたのでした。
最後は母が私の上になってアソコから流れ出る沢山の精子を舐め尽したのですが、私の目の前の母のアソコとお尻の穴からも沢山の精子が溢れ、私も口で処理させられ、「母娘レズ」と揶揄されながらもお互いのアソコに口を付け、精子を吸っては飲んでいました。
私は無事でしたが、母は妊娠し、中絶した後は人が変わった様に男アサリに走り、 今でも本番ありの性風俗の仕事をしています。 私と一緒に。
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そんなに広くもないけど麓の町を一望できる展望風呂に母と入っていた時、 外へ通じるドアを見つけ、露天風呂を発見し、沢山の大きな岩で囲まれた浴槽(?)まで10m程石の階段を下り、お風呂で何気ない会話をしていました。
母は当時39歳、今で言う所の「ボン・キュッ・ボン」的なスタイル、それに比べ私はまだAカップの貧乳でした。
程なくして数人の男性の声が聞こえてきましたが、近くに男湯があるのだと思い込んで聞き流していました。
母と私は下りて来た階段の方へお尻を突き出す様な格好で景色に見入っていました。
何か妙な気配を感じ振り返ると沢山のオジサン達に囲まれていて、あまりの驚きに声も出ませんでした。
既に見られた胸を隠しうずくまる事しか出来ず、母も同様でした。
オジサン達は軽く出来上がっていて、怯える私たちに対しハイテンションで襲い掛かって来たのでした。
2・3人程のオジサンが母を洗い場に連れ出すと沢山の手が私の両手足だけでなく、 頭・腋の下・胸・お尻を瞬く間に押さえ込み、両脚を広げると恥ずかしい所を眺められ、指で広げては代わる代わる舌を這わせて来ました。
「イヤー!止めて!ママ助けて!」と何度も泣き叫びましたが、母の姿を見る事が出来ず、「止めなさい!娘から手を放しなさい!」と聞こえるだけで、母も身動きが取れなくなっていた様でした。
オジサン達はどんどんエスカレートし、初めて目にした性器を握らされて強引にフェラチオをさせられ、次々と全身に精子を浴びされたり、呑まされました。
暫くすると私たちは脱衣場に連れて行かれ、濡れた素肌に直に浴衣を纏わされてオジサン達の部屋へ連行されたのでした。
母がオジサン達と取引し、私にだけは手を出さない様に約束をしてくれました。
部屋へ着くと私は帯で縛られ、自由を奪われました。そんな私の前で10人以上のオジサンが次々と母をレ××しました。
母も最初は私の手前嫌そうに受け入れていたのですが、私を犯すと脅され続けられ、気持ちの篭った声を出させられたり、上になって自ら腰を動かさせられ、挙句にお尻の穴まで入れられる始末で、私はただ怯え、震え、涙を流すだけでした。
とっても長い時間を過ごしていた時でした。1人のオジサンが私にフェラチオを強要し、髪の毛を鷲掴みして嫌がる私の口にねじ込んで来ました。
次第に私の周囲にオジサンが増え、私は縛られたまま浴衣を捲られ、胸もアソコも舌が這い、悔しいけど感じて来ました。
次々と「乳首がたって来た」とか「濡れて来た」とか卑猥な声と笑い声が聞こえます。
オナニーさえした事のなかった私にオジサン達から受ける刺激は耐えられたものではありません。
傍らでは私のピンチに気付かずに腰を振って卑猥な声を出す母の痴態があり、私も次第に腰が動き出してしまい、それを見逃すオジサン達ではなかったのでした。
アソコに舌とは違った感触を感じると、好きな人に捧げたい一身で守り続けた処女を一気に奪われました。
鈍い痛みが続く中最初のオジサンは動きを早めると、お腹の中に熱い衝撃を感じ、 私の上でぐったりして縮んだ性器を抜き取ったのでした。
それから何度も同じ様にオジサン達が私の中に吐き出したのです。
いつしか私も本気で母と同じ様に声を出し、上になったり、四つん這いになったり、いろんな格好をさせられたのでした。
最後は母が私の上になってアソコから流れ出る沢山の精子を舐め尽したのですが、私の目の前の母のアソコとお尻の穴からも沢山の精子が溢れ、私も口で処理させられ、「母娘レズ」と揶揄されながらもお互いのアソコに口を付け、精子を吸っては飲んでいました。
私は無事でしたが、母は妊娠し、中絶した後は人が変わった様に男アサリに走り、 今でも本番ありの性風俗の仕事をしています。 私と一緒に。