先生から調教を受ける事を今でも夢みてます[エロ話]
- 2013/09/16
- 09:42
私の母は小学校の教員をしており、母子家庭でとても厳しく育てられました。
特に小学校にあがってからは流行りものやテレビ禁止等、母がいない時は家事をこなし、休みの日や母が空いてる時間に勉強を見てもらい、母のクラスの児童と比べられ、叩かれながら教わりました。
私は運動が苦手だったので、学校の休みの日に鉄棒の特訓なんかもやらされました。
近所の公園に行くんですが、運動をするので体操服に着替えるように言われます。
近所の人や同級生に特訓や体操服姿を見られるのが嫌でした。
家の中に先生がいるかんじで、常に監視され、言われた事が出来ない時や反抗的な態度を取ると日常的にビンタされ、反省が足りないと徹底的に尻や太腿を定規で叩かれました。
母の顔色を伺いながらの生活でした。
母は私が小学生の内に厳しく躾るもりだった様です。
中学生になり、母に叱られ、叩かれる事が心地よくなっていて、わざと反抗的に振る舞い、怒られる事もありました。
高校受験に向け母との勉強時間は増えました。
母がいない時に自慰を覚えたのもこの時期です。
相手は母ではありますが、私は母と子というより教師と生徒の主従関係に惹かれました。
母に厳しい言葉をかけられた事や定規での痛みを思い出し、時には自分の足を真っ赤になるまで定規で叩き、射精しました。
母への想いは日に日に強くなり、冬休みに入った時に思い切って体操服で母の前に行きました。
母はびっくりしてましたが、私は事前に用意してた言葉を母に告げました。
「お母さん、薄着にして風邪引かない様に体を鍛えたいから、家の中では体操服で過ごしてもいい?」
母は「冬だから風邪引いちゃうよ」
私はひきさがらずに「冬だから鍛えたい」と言いました。
母は「変な子ね=vと言いながらも黙認してくれました。
私は母の命令で寒い冬に体操服を着せられてると妄想し、自慰をしました。
体操服での生活から何の進展もなく、悶々としていました。
勉強を見てもらってる時に私は母に、
「勉強を教わってる時だけ、お母さんの事、足立先生って呼んでいい? 僕の事も足立って苗字で呼んで」
母は「どーして?お母さんも足立だしなぁ、足立って呼ぶのおかしいわよ」
私は「教わる相手がお母さんだと甘えちゃうから、先生だと思って真剣に勉強に打ち込みたいから」
母は「家にいる時はお母さんでいたいけど、協力するからしっかりやるのよ!」
私は興奮しながら「はい!」と元気よく返事をしました。
それからは母の前では後ろ手に組み、敬語で話す様に自分からしました。
母は最初は動揺してましたが、日々の生活の中で当たり前になってきました。
そして、高校生になり私は母に告白しました。
「足立先生に小学生の時の様に厳しくされたい、叩かれながら生活したいです」
母は「高校生になる息子を叩けないよ。子供の時に厳しくし過ぎて、精神的にバランス崩しちゃったんだね」
私は抑えきれず「足立先生の奴隷になりたいんです。厳しく調教して下さい。」
母は「息子を奴隷になんてできなし、調教なんてお母さんできないよ」
と断られましたが、調教は無理でも、定期的にお願いして、何とか定規で定期的に叩いてもらえる事になりました。
叩かれながらの自慰を足立先生に見てもらい射精する様になりました。
これ以上の進展はありませんが、足立先生から調教を受ける事を今でも夢みてます。
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特に小学校にあがってからは流行りものやテレビ禁止等、母がいない時は家事をこなし、休みの日や母が空いてる時間に勉強を見てもらい、母のクラスの児童と比べられ、叩かれながら教わりました。
私は運動が苦手だったので、学校の休みの日に鉄棒の特訓なんかもやらされました。
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近所の人や同級生に特訓や体操服姿を見られるのが嫌でした。
家の中に先生がいるかんじで、常に監視され、言われた事が出来ない時や反抗的な態度を取ると日常的にビンタされ、反省が足りないと徹底的に尻や太腿を定規で叩かれました。
母の顔色を伺いながらの生活でした。
母は私が小学生の内に厳しく躾るもりだった様です。
中学生になり、母に叱られ、叩かれる事が心地よくなっていて、わざと反抗的に振る舞い、怒られる事もありました。
高校受験に向け母との勉強時間は増えました。
母がいない時に自慰を覚えたのもこの時期です。
相手は母ではありますが、私は母と子というより教師と生徒の主従関係に惹かれました。
母に厳しい言葉をかけられた事や定規での痛みを思い出し、時には自分の足を真っ赤になるまで定規で叩き、射精しました。
母への想いは日に日に強くなり、冬休みに入った時に思い切って体操服で母の前に行きました。
母はびっくりしてましたが、私は事前に用意してた言葉を母に告げました。
「お母さん、薄着にして風邪引かない様に体を鍛えたいから、家の中では体操服で過ごしてもいい?」
母は「冬だから風邪引いちゃうよ」
私はひきさがらずに「冬だから鍛えたい」と言いました。
母は「変な子ね=vと言いながらも黙認してくれました。
私は母の命令で寒い冬に体操服を着せられてると妄想し、自慰をしました。
体操服での生活から何の進展もなく、悶々としていました。
勉強を見てもらってる時に私は母に、
「勉強を教わってる時だけ、お母さんの事、足立先生って呼んでいい? 僕の事も足立って苗字で呼んで」
母は「どーして?お母さんも足立だしなぁ、足立って呼ぶのおかしいわよ」
私は「教わる相手がお母さんだと甘えちゃうから、先生だと思って真剣に勉強に打ち込みたいから」
母は「家にいる時はお母さんでいたいけど、協力するからしっかりやるのよ!」
私は興奮しながら「はい!」と元気よく返事をしました。
それからは母の前では後ろ手に組み、敬語で話す様に自分からしました。
母は最初は動揺してましたが、日々の生活の中で当たり前になってきました。
そして、高校生になり私は母に告白しました。
「足立先生に小学生の時の様に厳しくされたい、叩かれながら生活したいです」
母は「高校生になる息子を叩けないよ。子供の時に厳しくし過ぎて、精神的にバランス崩しちゃったんだね」
私は抑えきれず「足立先生の奴隷になりたいんです。厳しく調教して下さい。」
母は「息子を奴隷になんてできなし、調教なんてお母さんできないよ」
と断られましたが、調教は無理でも、定期的にお願いして、何とか定規で定期的に叩いてもらえる事になりました。
叩かれながらの自慰を足立先生に見てもらい射精する様になりました。
これ以上の進展はありませんが、足立先生から調教を受ける事を今でも夢みてます。
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