母で童貞卒業したのはいいけど、その後やりまくってたら・・・
- 2021/09/23
- 23:42
僕の中出しの相手は、母です、もちろん正真正銘の母です。
母と関係を持ったのは僕が20歳、母は42歳の頃でした。
僕が母の下着を使ってオナニーを始めたのが中2あたりからでした。僕はその頃彼女も居なく、悶々としていて、隙があれば母の下着でオナニーをしてました。
そしてあの日、僕は母が出かけたのを確認して寝室に行き、母の下着でオナニーを始めました。
しばらくすると、玄関の開く音がしました。僕は「ヤバイ」と思いその場を逃げようとしましたが、時既に遅く母は寝室に来てしまいました。
母はビックリして、何も言えず、ただ黙って見てました。
しばらくすると母は「しょうがないね」と言って僕の方へ来ました。
そして「そんなにお母さんの下着がいいの?、こんなおばさんの下着で」と言いながら、散らばっていた下着を片付けていました。
やがて「そんなにお母さんがいいの?、まだ経験がないの?」と母が言ってくるので、僕は「うん・・まだない」と返しました。
母は「本当にお母さんでいいの?」と念を押すように聞いてきました。
「うん」と言うと母は僕の萎えたチンチンを握り「わかったわ、誰にも言わないでね」と言いながら、チンチンを上下に動かしてきました。
母の手で僕のチンチンはみるみるうちに勃起してしまいました。
「随分立派になったわね」と口に咥えてくれたのですが、僕は余りの気持ちのよさに数分で、口の中に出してしまいました。
母はそのまま飲んでくれました。「凄い量ね」と言ってまた舐め出しました。
それからというもの、母は僕が合図をすると部屋に入ってきて、フェラをしてくれるようになりました。
しばらくはフェラで我慢できていたのですが、半年後SEXをするようになりました。
その日は親父が入院する事になって(糖尿病)、母と2人っきりでした。いつものように、フェラをしてもらった後、僕は「お袋したいよ」とお願いをしてみました。
が、やはり親父が気になってか「だめ、だめ」と断られてしまいました。
いつもならそれで諦めるんですが、今度こそと僕はしつこく迫りました。
すると母は観念したらしく「わかったわ・・・それじゃ部屋に来て」と一緒に母の寝室に行きました。
母が布団を敷きました。
「じゃ、服を脱いで」と母。
僕は素っ裸になって布団の上で待っていると、母も服を脱いで裸になりました。
「こんな、おばさんの身体でいいの?」と前みたいに念押しするように言いながら、僕に裸を見せてきました。
子供以来、母の裸を久しぶりに見ました。オッパイは大きく、下の毛は意外と毛深いです。
母と抱き合いキスをした後、僕は言われるままに母に覆いかぶさりました。
とうとう母のおまんこに入れる時がきました。
母はチンチンを手でおまんこに導いてくれて、入れてみると母の中はフニャフニャして温かい感触がします。
しばらくそのまま、入れた余韻に浸ってました。
僕は腰を前後に動かしました。やはりオナニーとは違う快感があります。
初めてだったので、すぐに中に出してしまいました。これが僕の初体験であり初めての中出しでした。
「いいのよ、初めてだから焦らなくて。もう一回出来るでしょ」と言ってもらえたのに気を良くしているうち、母のおまんこの中で果てたチンチンがまた大きくなりました。
僕は夢中で腰を前後に動かし、しかし長くは持たずまたすぐに果ててしまいました。
母の「初めてだからいいのよ、今夜は気が済むまでやっていいから」という言葉に安心して、次のセックスを始めました。
その日は正常位4回・騎上位3回・バック3回、計10回もしました。もちろん全部中で出しました。「今日は安全日だから、妊娠しないわよ」と教えてくれたので出し放題でした。
翌日、昼まで寝てました。母は病院に行くからと言って早起きしたようですが、出掛ける前に、僕の上に乗ってセックスしていたそうです。
「お前のチンチンあんなにやっても朝だちするなんて、お母さんまた、乗っかっちゃったの。あんた寝ぼけてて、判んなかったでょう」とちょっと呆れたようでした。
その日から、母とは毎日1回はするようになりました。もちろん中出しです・・・とはいえ母も生理がまだ月イチで来ていたので、危ない日はお腹の上に出してました。
3ヶ月後。入院の甲斐なく、親父は糖尿病が悪化して亡くなってしまいました。
母との2人の生活が始まりました。SEXは毎日かかさずしてました。
そして、恐ろしい事が起きてしまいました。母が妊娠してしまったのです。
母自身も危険日を安全日と間違えたらしく、中出しさせてくれていたのが原因だったようです。
たぶん騎上位の時に出した僕の精子が母の卵子に結合したと思うのですが、これには理由があって、母は騎上位が好きで、母の子宮口が僕のチンチンを少しくわえ込むようになってすごく気持ちがいいのだそうです。
子宮に直接射精するから妊娠しやすいのではないかと考えています。
母は2度妊娠しているので(もちろん、親父とのSEXです)自分でも判っているそうです。だから、その日も「なんか肉体がだるい」と言ってて「多分出来ちゃったのかも知れないよ」と僕に言っていました。
僕は冗談だと思ってましたが、やっぱり出来てたそうです。もちろん僕の子供です。
母は「仕方ないわね、出来ちゃったものはしょうがないし、お母さん多分間違えたと思うの、危ない日なのに、大丈夫と言って中に出させちゃって、ゴメンネ」と謝っていました。
「お袋は悪くないよ」
「おろすから、もう子供はあなたとお姉ちゃんの2人だけで十分だから」
の言葉に切なくなって、僕は母を抱きしめて、そのまま朝方までずっとSEXをしました。
母は何かを忘れたいかのように激しく求めてきました。
あまりに激しすぎたので、翌日、僕は仕事を休んでしまいました。
とはいえSEXはそうそう止められません。起きてからすぐ、母が病院に出掛ける前に2回ほどやりました。
3年後、母はまた妊娠してしまいました。45歳の頃です。
その頃の母の生理は不定期だったそうで、前回みたいに1ヶ月に1回のペースでこなくなったそうです。だから、母も多分生理が終わったのだと勘違いしてたみたいです。
もちろん、おろしました。
そして現在僕は36歳、母57歳。いまだにSEXをしてます。もちろん中に出してます。
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母と関係を持ったのは僕が20歳、母は42歳の頃でした。
僕が母の下着を使ってオナニーを始めたのが中2あたりからでした。僕はその頃彼女も居なく、悶々としていて、隙があれば母の下着でオナニーをしてました。
そしてあの日、僕は母が出かけたのを確認して寝室に行き、母の下着でオナニーを始めました。
しばらくすると、玄関の開く音がしました。僕は「ヤバイ」と思いその場を逃げようとしましたが、時既に遅く母は寝室に来てしまいました。
母はビックリして、何も言えず、ただ黙って見てました。
しばらくすると母は「しょうがないね」と言って僕の方へ来ました。
そして「そんなにお母さんの下着がいいの?、こんなおばさんの下着で」と言いながら、散らばっていた下着を片付けていました。
やがて「そんなにお母さんがいいの?、まだ経験がないの?」と母が言ってくるので、僕は「うん・・まだない」と返しました。
母は「本当にお母さんでいいの?」と念を押すように聞いてきました。
「うん」と言うと母は僕の萎えたチンチンを握り「わかったわ、誰にも言わないでね」と言いながら、チンチンを上下に動かしてきました。
母の手で僕のチンチンはみるみるうちに勃起してしまいました。
「随分立派になったわね」と口に咥えてくれたのですが、僕は余りの気持ちのよさに数分で、口の中に出してしまいました。
母はそのまま飲んでくれました。「凄い量ね」と言ってまた舐め出しました。
それからというもの、母は僕が合図をすると部屋に入ってきて、フェラをしてくれるようになりました。
しばらくはフェラで我慢できていたのですが、半年後SEXをするようになりました。
その日は親父が入院する事になって(糖尿病)、母と2人っきりでした。いつものように、フェラをしてもらった後、僕は「お袋したいよ」とお願いをしてみました。
が、やはり親父が気になってか「だめ、だめ」と断られてしまいました。
いつもならそれで諦めるんですが、今度こそと僕はしつこく迫りました。
すると母は観念したらしく「わかったわ・・・それじゃ部屋に来て」と一緒に母の寝室に行きました。
母が布団を敷きました。
「じゃ、服を脱いで」と母。
僕は素っ裸になって布団の上で待っていると、母も服を脱いで裸になりました。
「こんな、おばさんの身体でいいの?」と前みたいに念押しするように言いながら、僕に裸を見せてきました。
子供以来、母の裸を久しぶりに見ました。オッパイは大きく、下の毛は意外と毛深いです。
母と抱き合いキスをした後、僕は言われるままに母に覆いかぶさりました。
とうとう母のおまんこに入れる時がきました。
母はチンチンを手でおまんこに導いてくれて、入れてみると母の中はフニャフニャして温かい感触がします。
しばらくそのまま、入れた余韻に浸ってました。
僕は腰を前後に動かしました。やはりオナニーとは違う快感があります。
初めてだったので、すぐに中に出してしまいました。これが僕の初体験であり初めての中出しでした。
「いいのよ、初めてだから焦らなくて。もう一回出来るでしょ」と言ってもらえたのに気を良くしているうち、母のおまんこの中で果てたチンチンがまた大きくなりました。
僕は夢中で腰を前後に動かし、しかし長くは持たずまたすぐに果ててしまいました。
母の「初めてだからいいのよ、今夜は気が済むまでやっていいから」という言葉に安心して、次のセックスを始めました。
その日は正常位4回・騎上位3回・バック3回、計10回もしました。もちろん全部中で出しました。「今日は安全日だから、妊娠しないわよ」と教えてくれたので出し放題でした。
翌日、昼まで寝てました。母は病院に行くからと言って早起きしたようですが、出掛ける前に、僕の上に乗ってセックスしていたそうです。
「お前のチンチンあんなにやっても朝だちするなんて、お母さんまた、乗っかっちゃったの。あんた寝ぼけてて、判んなかったでょう」とちょっと呆れたようでした。
その日から、母とは毎日1回はするようになりました。もちろん中出しです・・・とはいえ母も生理がまだ月イチで来ていたので、危ない日はお腹の上に出してました。
3ヶ月後。入院の甲斐なく、親父は糖尿病が悪化して亡くなってしまいました。
母との2人の生活が始まりました。SEXは毎日かかさずしてました。
そして、恐ろしい事が起きてしまいました。母が妊娠してしまったのです。
母自身も危険日を安全日と間違えたらしく、中出しさせてくれていたのが原因だったようです。
たぶん騎上位の時に出した僕の精子が母の卵子に結合したと思うのですが、これには理由があって、母は騎上位が好きで、母の子宮口が僕のチンチンを少しくわえ込むようになってすごく気持ちがいいのだそうです。
子宮に直接射精するから妊娠しやすいのではないかと考えています。
母は2度妊娠しているので(もちろん、親父とのSEXです)自分でも判っているそうです。だから、その日も「なんか肉体がだるい」と言ってて「多分出来ちゃったのかも知れないよ」と僕に言っていました。
僕は冗談だと思ってましたが、やっぱり出来てたそうです。もちろん僕の子供です。
母は「仕方ないわね、出来ちゃったものはしょうがないし、お母さん多分間違えたと思うの、危ない日なのに、大丈夫と言って中に出させちゃって、ゴメンネ」と謝っていました。
「お袋は悪くないよ」
「おろすから、もう子供はあなたとお姉ちゃんの2人だけで十分だから」
の言葉に切なくなって、僕は母を抱きしめて、そのまま朝方までずっとSEXをしました。
母は何かを忘れたいかのように激しく求めてきました。
あまりに激しすぎたので、翌日、僕は仕事を休んでしまいました。
とはいえSEXはそうそう止められません。起きてからすぐ、母が病院に出掛ける前に2回ほどやりました。
3年後、母はまた妊娠してしまいました。45歳の頃です。
その頃の母の生理は不定期だったそうで、前回みたいに1ヶ月に1回のペースでこなくなったそうです。だから、母も多分生理が終わったのだと勘違いしてたみたいです。
もちろん、おろしました。
そして現在僕は36歳、母57歳。いまだにSEXをしてます。もちろん中に出してます。