動かされる前の心[エロ体験]
- 2013/09/25
- 09:30
「いってくるー」
「いってらっしゃーい」
玄関の閉まる音。雪尋がバイトに行った。
「…はぁ」
どさっ、とソファに寝そべる。その音が響くほど、家の中は静かだった。
お父さんは仕事、お母さんは買い物、そして雪尋はバイト。今この家は、私一人だった。
だからといって、何かをする気力もない。テレビをつけるのも面倒で、そのままぼーっと寝転んでいた。
そうしていると、自然に思い浮かぶ事。
雪尋の、こと。
(暇つぶしに弟を思い浮かべる姉って…なんだかなあ…)
そう思いつつも、イメージは勝手に組みあがっていく。
悪戯っぽい笑みを浮かべた雪尋。何かからかおうとする時は決まってする顔。だからわかりやすいのだけど。
しどろもどろになって慌てる雪尋。悪戯するのは好きな癖に、あたしがちょっと乗ってやるとすぐにあたふたする。全く、可愛い奴め。
怒った雪尋。笑った雪尋。「仕方ないな」という顔をして、いつもあたしの我が侭を聞いてくれる雪尋。
大好きな、雪尋。
ああ、どうしよう。
ついさっき、送り出したばかりだというのに。
あたしはもう、雪尋に会いたくなってる。
バイト場に行こうかとも思ったが、それはさすがに迷惑だろうから却下。
だから、雪尋の部屋に行くことにした。
部屋に入ったはいいが、何をするわけでもなし。
仕方がないので、最近妙に馴染んだ感のあるベッドに倒れこむ。
そのまま、枕に顔をうずめる。
「んん〜〜〜……」
(…雪尋の、匂い…)
男のくせに、雪尋は凄くいい匂いがする。あたしは、雪尋の匂いが好き。
その匂いの染み付いたベッドは、とても心地よいものに思えた。
そうしていると、また自然と雪尋の事が頭に浮かんでくる。
(雪尋…)
このベッドでも、何度も雪尋と一緒に寝ている。最近は、特に。
雪尋とキスする夢を見たこともあるし、実際に雪尋と…その、キスしたこともある。
うわ、顔が熱くなってきた。今考えると、かなり恥ずかしいことだったんじゃ…。
(…って、恥ずかしいっていったら…)
このベッドで、…胸を揉ませたこともあった。
本当に今考えると、何をやっていたんだ、と思う。
大体、何でそうなったのかすら、もう思い出せない。何か、何故か必死だったような記憶があるのみ。
それでも、あの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。
顔を真っ赤にしながら、それでも観念したような表情の雪尋。多分、あたしも同じくらい真っ赤だったと思う。
そっとあたしの胸に触る雪尋。触れられた瞬間、凄く暖かいと感じた。
だけど雪尋は本当に触るだけ。あたしは何だか凄く切なくなって、物足りなくなって。
思わず「揉んで」とお願いしてしまったのだった。
しかしそんなとんでもない(本当にとんでもない!)お願いも、雪尋は「しょーがねーなぁ」って聞いてくれた。
雪尋の手の動きは、凄くいやらしくて、悪戯っぽくて。それでも、凄く優しくて。
何だか雪尋そのままの感じが、あたしは凄く嬉しくて、心地よくて…。
(…こらこらっ、何を思い出してるの、あたしはっ!)
思わず体を起こし、ぶんぶん、と頭を振って方向が怪しくなってきた思考を慌てて戻す。
(うわ、凄いどきどきしてる…)
落ち着くために、部屋の中を見渡す。片付いてはいるけど、少し埃っぽい。今度掃除でもしてあげようか。
そんなとりとめのないことを考えながら、しばらくぼーっとしていた。
そして再び、ベッドに倒れこむ。
ぼふっ。
「…はぁ…」
あたし、何してるんだろう。
暇だからって、弟の部屋に入って、勝手にベッドに入って、妙な妄想をして。
何だか最近のあたしはおかしい。気がつくと、雪尋のことを考えている。
自分がブラコンであることは、まあ、認めている。でも最近のあたしは、何だか度を過ぎていないだろうか。
こうなったのは、いつからだろうか。最近のような気もするし、ずっと前からこうであったような気もする。
確かなことは、あたしが雪尋を妙に意識しているということ。
もしかして、これは…。
(……まさか、ね……)
この問いかけも、否定も、その後に「だって弟なんだから」と思い出したように付け加えるのも、もう何度目になるのだろう。
でもやっぱり、雪尋のことを考えるのは楽しくて、嬉しくて。
その雪尋の匂いの染み付いたこのベッドは、やっぱりとても心地いい場所であることは確かなのだった。
闇に包まれた部屋に、嗚咽が響く。それは、あたしの声だった。
このベッドで、雪尋に縋り付いて、泣いているあたし。そしてそれを、抱きしめてくれている雪尋。
ああ、これは「あの夜」のあたしだ。雪尋があたしの友達と一緒に遊びに行った日の夜。
その前の日、あたしは雪尋と些細な事でケンカをした。
その友人であるEから、雪尋と遊ぶ約束をした、と聞いたあたしは、そのことを雪尋に問い詰めに行った。…ううん、違う。
「弟君借りるねー」というEのメールが、あたしは何だか凄く面白くなくて、雪尋に八つ当たりをしに行ったのだ。
でも、ちょうど雪尋も機嫌が悪かったみたいで。口ゲンカ、売り言葉に買い言葉、沈黙。
そして仲直りできないまま、雪尋はEと遊びに行ってしまったのだった。
取り残されたあたしは、意地を張って何かしてやろうと思ったけど、結局その日は何も手につかなくて。
何も出来ず、ただ無為に時間を過ごしていた。でもそれは、あたしにとって苦痛の時間だった。
ふと気づくと、雪尋の事が頭に浮かんでしまう。いくら振り払おうとしても、雪尋の事が頭から離れない。
こんなことなら仲直りしておけばよかった、という後悔と。
変に意地を張ってしまった自分に対する、自己嫌悪と。
今雪尋がどこに居るのか、何をしているのかを自分は知らない、という不安と。
…そして、今雪尋のそばにいるEへの嫉妬と。
色々な感情が混じり合って、あたしを苛み続けた。何度、雪尋に会いたくなったかわからない。
感情は雪尋を求めているのに、理性がそれを阻む。あたしの、「姉」としての理性が。
心が引きちぎられそうなその時間は、お母さんが夕飯に呼びに来るまで続いた。
その後、何度か雪尋にメールをしたけど、出来る限り事務的な内容にするように努めた。
そうでないと、あたしのこの感情が溢れ出してしまうから。雪尋に会いたいって、今すぐ会いたいって、言ってしまうから。
夕飯の後は、何も考えないで済むように、雪尋の部屋でゲームをしていた。
ほとんど、画面を見ていなかった。ただ雪尋が帰ってくるまで、何も考えたくなかっただけだ。
途中でふと思い立ち、おにぎりを作った。雪尋は食べてくると言っていたけど、それでも何か、あたしの作ったものを食べさせたかった。
深夜になって、雪尋が帰ってきた。きっとその時、あたしは魂が抜けたようになっていたと思う。
その時のあたしが考えていたのは、たった一つのこと。雪尋と、仲直りしたかった。
「ごめんね」と言ったあたしに、雪尋は「いいよ」って言ってくれた。その時のあたしには、それで十分だった。
でも、部屋に帰ってから、また感情が溢れてきた。昼間に押し隠した感情が、再び形を成して、あたしを責めた。
心が、壊れそうだった。眠ってしまえば忘れると思ったが、そんな状態で寝付けるわけがない。
気がつくと、あたしは雪尋の部屋の前に立っていた。自分の体が、自分の物ではないような気分だった。
ノックをすると、雪尋はまだ起きていた。確認をして、中に入る。そのまま、雪尋のベッドへと強引にもぐりこんだ。
そして雪尋の温もりを感じた瞬間、あたしの心が堰を切ったように溢れ出した。
涙が、止まらなかった。子供のように、うわ言のように、ただ「やだ」を繰り返した。
そう、あたしは嫌だったのだ。雪尋とケンカするのも、雪尋が知らないところへ行くのも、
…雪尋が、あたしじゃない誰かと一緒にいるのも。
そんなあたしに、雪尋はやっぱり優しかった。あたしが落ち着くまで抱きしめてくれて、そして「ごめん」って言った。
違う、謝るのはあたしの方。雪尋が謝ることなんてない。そう言おうと、したけれど。
その時のあたしは、ただ自分を包み込んでくれる雪尋の温もりが嬉しくて、それを感じていたくて。
結局、そのまま寝入ってしまったのだった。あれほどに溢れていた感情は、もう静まっていた。
闇の中で感じた雪尋の匂いと、温もり。それがあれば、あたしはきっといつだって、心から安らぐことができる。
そうだ。そうなのだ。
あたしは雪尋が好き。弟だとか、一人の男としてだとか、そんなの関係ない。ただ、雪尋が雪尋だから好きなのだ。
落ち着かせてくれる匂いが好き。あたしに触れてくれる手が好き。
優しく抱きしめてくれる腕が好き。包み込んでくれる温もりが好き。
雪尋が、好き。
気持ち悪い? 許されない? そんなこと、関係ない。
「好き」って気持ちをごまかせるほど、あたしは器用じゃないし、強くもない。
雪尋の行動一つで、あたしは嬉しくなって、悲しくなって、笑って、泣いて。
悔しいくらい、雪尋に心を持っていかれてる。あたしの全部を、雪尋にあげちゃったみたい。
だから、
ね、雪尋。
ずっと、そばにいてもいい?
ふと、意識が戻った。
(……夢……?)
どうやら、いつの間にか眠っていてしまったらしい。半覚醒状態特有の気だるさが、全身に広がっている。
それにしても、何であの時の夢なんて見たのだろう。あれからもう、随分と経つというのに。
それより、夢の中で何かを考えていたような気がする。それはきっと、凄く大切なこと。
いや、何かに気がついた、と言ったほうが正しいのだろうか。
(……何だっけ……)
でも、寝ぼけた頭では思い出せない。大切なことだったような気がするのに。
とにかく起きなくては。そう自分に言い聞かせ、重い瞼をこじ開ける。
すると、ぼやけた視界に最初に映ったもの。
雪尋の、顔。
「う、うわっ!?」
「ふぇ…?」
何で雪尋がここにいるんだろう。雪尋があたしの部屋に来ることなんてあまり無いのに。…逆はしょっちゅうだけど。
大体、雪尋はバイトに行ったはずじゃ…ああそうか、これはまだ夢なんだ。
全く、これは重症だ。夢にまで見るほど、あたしは雪尋に会いたかったのだろうか。
でもまあ、せっかく雪尋が出てきてくれたのだ。ちょっとくらい好きなことをさせてもらってもいいだろう。
とりあえず、雪尋の顔を引き寄せて。
「姉ちゃん、寝ぼ…んっ!?」
キス。
もう数え切れないほど繰り返したそれは、やっぱり温かくて。
嫌な夢を見た後の憂鬱な気分を全て消し去ってしまう程に、心地よくて。
あたしの中の何かが、満たされていくような。
「……っ、ぷはっ!」
しばらくして、唇を離す。この瞬間は、いつも寂しさを感じる。ずっとしていられたらいいのにな。
「姉ちゃん、いきなり何を…」
「あはは、雪尋真っ赤ー」
「…まだ寝ぼけてんのか…?」
むー、可愛くない反応。どうせ夢だったらこう、もっと可愛かったり格好よかったりしても…。
…夢、だったら?
ふと、思い返してみる。たった今の、キス。
温もりも、感触も、夢にしては生々しかったような…。
…………。
……夢じゃ、ない?
「あれ……雪尋?」
「やっぱり寝ぼけてる…」
大仰にため息をつく雪尋。
徐々に、思考能力が戻ってくる。そして、寝る前の自分の行動を思い出す。
確かあたしは、暇だったから、雪尋の部屋に行って、ベッドに入って、それで…。
(いつの間にか、寝ちゃってたのか…)
ということは、ここは雪尋の部屋。雪尋がいても、何もおかしくは無い。むしろあたしがここにいることの方がおかしい訳で。
「えっと…ごめんね、勝手に寝ちゃって」
「謝るのはそこかよ…」
「えー?…あ、さっきの謝って欲しいの?
…してほしく、なかった?」
「いや、して欲しいとか欲しくないとかそういうことじゃ…、…はぁ。まあいいや。
それより、飯だぞ、飯」
「あー、もうそんな時間? そんなに寝てたんだ…」
だから起こしてくれたのか。時計を見ると、もうすぐ9時になろうとしていた。
…、あれ?
「ねぇ、雪尋?」
「ん? 何、姉ちゃん?」
「確か今日のバイト、8時には上がれるんじゃなかった?
どこか寄り道してたの?」
そうだ、バイト場からここまでは20分もかからないはず。真っ直ぐ帰ってくるなら、8時半前には着いている。
ゲームセンターにでも寄ってきたのなら、もう少し遅くなるだろう。
そう考えて聞いた、何気ない質問のつもりだったんだけど。
何故か突然、雪尋は顔を赤くして背けた。
「あ、うん、ちょっと本屋に、ね」
質問に対する受け答えもどこか怪しい。というか、絶対嘘をついている。
何か隠したいことでもあるのだろうか?
「嘘でしょ」
「う…」
図星。ふふん、お姉ちゃんをなめるなよ。それくらい、簡単に見抜けるんだから。
「じゃあ、何してたの?」
「いや、だから…」
「ごまかし禁止。あたしの目を見て答えなさい」
「うっ…」
顔を真っ赤にして、何だか凄く後ろめたそうにしている。…どうしたんだろう。そんなに、言いたくないことなのかな。
…もしかして、誰かと会っていたとか。あたしじゃない、誰かと。
それって、誰だろう?…まさか、…E? それとも…あたしの知らない人?
どうしよう、雪尋の答えを聞くべきなのだろうか。でも、聞くのが怖い。
本当に、あたしの想像通りだったら。雪尋が、誰か他の人と一緒にいたのなら。
「……てた……」
「え?」
何? 今、なんて言ったの、雪尋?
聞き返すあたしに、雪尋はため息を一つついて、その後大きく息を吸って、言った。
「姉ちゃんの寝顔を見てた、って言ったんだよ…」
「……え?」
えっと……それだけ?
別に誰と会っていた訳でもなくて、寄り道をしたわけでもなくて。
ただあたしの寝顔を見てただけで、夕食の時間になった、ってこと?
一瞬呆けてしまった。が、それが過ぎたら次にこみ上げてきたのは、安堵。
何だろう、凄くホッとした。雪尋が誰かと会っていた訳じゃないっていう、それだけで。
あ、どうしよう。何だか凄くおかしい。嬉しくて、変な勘違いしていた自分が恥ずかしくて。
「…ふ、ふふふっ」
「あ?」
「あはっ、あははははっ」
笑いがこみ上げてくる。どうしよう、止まらないや。
大体冷静に考えてみれば、誰かと会うような時間はないって分かるのに。
何で、そんな事にも頭が回らなかったんだろう。…そんなに、不安だったのだろうか。
胸の中に生まれた複雑な想いを吹き飛ばすように、笑う。
「何だよ、そんなにおかしいかよ…」
雪尋はいきなり笑い出したあたしに呆気にとられたようだけど、自分が笑われていると思ってるようで面白くなさそう。
まあ、いい。雪尋のやった事だって十分おかしいんだから、そういうことにしておこう。
「だ、だって、凄い言い難そうだったから、どんな大変なことかと…あはははっ」
「だから言いたくなかったんだよ…追求しないでくれりゃよかったのに」
ひとしきり笑ったら、段々と落ち着いてきた。
「あー、おかしいなあもう…。大体、寝顔なんて見慣れてるじゃない」
「それは誰かさんがいつも強引に俺の部屋で寝るからだと思うのだが」
「なによー、別にいいじゃない、それくらい」
「ここ、俺の部屋。それ、俺のベッド」
「弟のものは姉のものなのです」
「横暴ここに極まれり…」
「何か言った?」
「いや、何も。それより、飯だぞ」
「うん、今行く」
…でも、その前に。
「雪尋?」
「ん?」
振り向いた雪尋の頬に、手を伸ばして。
それは、さっきのリプレイ。
キス。
「んっ……!?」
うん、やっぱり温かい。何というか、優しい味がする。
でもそれは、切なさを伴う。味わえば味わうほどに、もっともっと欲しくなる。
それは嬉しいけれど、少しだけ怖くて。振り切るように、あたしは唇を離す。
唇を重ねていた時間は、さっきのよりは短かった。
「…ふはぁ」
不意打ちのキスでも、しっかり息を止めている雪尋。…相当、慣れてるのだろうか。いや、あたしが慣らしたのか?
「二度も不意打ちに引っかかるとは、お主もまだまだ未熟よのう」
「…こんな短時間でもう一度仕掛けてくるとは思わないだろ普通。どうしたんだよ今日は?」
「んー? 別にー。
ただ、可愛いことを言ってくれた弟にお礼をしてあげようと思ってー」
「…はぁ。もういいです。先行くぞー」
「うん、すぐ行くから」
顔を赤くしたまま、部屋を出て行く雪尋を見送る。
ドアが閉まって雪尋の姿が見えなくなった途端、一気に顔が赤くなっていくのが分かった。
雪尋の言う通りだ。あたし、どうしちゃったんだろう。
雪尋が誰かと会っていたわけじゃないって分かって安心した途端、急に雪尋が愛しくなった。
…雪尋が、欲しくなった。
もちろん、それは一瞬のこと。自分でかき消せるくらいの、小さなもの。
でも、確かなものでもある。だから、衝動的にキスなんてしてしまったのだ。
ああもう、本当にどうしたというのだ。この感情を、どうしたら静められるのだろう。
…静める? そう、静めなくてはいけない。この感情を、いつまでも抱いていてはいけないのだ。
(だって…)
「…だって、弟なんだから…」
いつものように呟いた、いつもの言葉に伴った、小さな痛みと切なさは、いつものよりも大きくて。
でも。
さっきのキスを思い返してこみ上げてくる嬉しさも、満ち溢れてくる幸せもまた、いつものよりも大きくて。
それらはきっと、さっき見ていた夢のせい。
そんな、気がした。
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「いってらっしゃーい」
玄関の閉まる音。雪尋がバイトに行った。
「…はぁ」
どさっ、とソファに寝そべる。その音が響くほど、家の中は静かだった。
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だからといって、何かをする気力もない。テレビをつけるのも面倒で、そのままぼーっと寝転んでいた。
そうしていると、自然に思い浮かぶ事。
雪尋の、こと。
(暇つぶしに弟を思い浮かべる姉って…なんだかなあ…)
そう思いつつも、イメージは勝手に組みあがっていく。
悪戯っぽい笑みを浮かべた雪尋。何かからかおうとする時は決まってする顔。だからわかりやすいのだけど。
しどろもどろになって慌てる雪尋。悪戯するのは好きな癖に、あたしがちょっと乗ってやるとすぐにあたふたする。全く、可愛い奴め。
怒った雪尋。笑った雪尋。「仕方ないな」という顔をして、いつもあたしの我が侭を聞いてくれる雪尋。
大好きな、雪尋。
ああ、どうしよう。
ついさっき、送り出したばかりだというのに。
あたしはもう、雪尋に会いたくなってる。
バイト場に行こうかとも思ったが、それはさすがに迷惑だろうから却下。
だから、雪尋の部屋に行くことにした。
部屋に入ったはいいが、何をするわけでもなし。
仕方がないので、最近妙に馴染んだ感のあるベッドに倒れこむ。
そのまま、枕に顔をうずめる。
「んん〜〜〜……」
(…雪尋の、匂い…)
男のくせに、雪尋は凄くいい匂いがする。あたしは、雪尋の匂いが好き。
その匂いの染み付いたベッドは、とても心地よいものに思えた。
そうしていると、また自然と雪尋の事が頭に浮かんでくる。
(雪尋…)
このベッドでも、何度も雪尋と一緒に寝ている。最近は、特に。
雪尋とキスする夢を見たこともあるし、実際に雪尋と…その、キスしたこともある。
うわ、顔が熱くなってきた。今考えると、かなり恥ずかしいことだったんじゃ…。
(…って、恥ずかしいっていったら…)
このベッドで、…胸を揉ませたこともあった。
本当に今考えると、何をやっていたんだ、と思う。
大体、何でそうなったのかすら、もう思い出せない。何か、何故か必死だったような記憶があるのみ。
それでも、あの時のことは、今でも鮮明に思い出せる。
顔を真っ赤にしながら、それでも観念したような表情の雪尋。多分、あたしも同じくらい真っ赤だったと思う。
そっとあたしの胸に触る雪尋。触れられた瞬間、凄く暖かいと感じた。
だけど雪尋は本当に触るだけ。あたしは何だか凄く切なくなって、物足りなくなって。
思わず「揉んで」とお願いしてしまったのだった。
しかしそんなとんでもない(本当にとんでもない!)お願いも、雪尋は「しょーがねーなぁ」って聞いてくれた。
雪尋の手の動きは、凄くいやらしくて、悪戯っぽくて。それでも、凄く優しくて。
何だか雪尋そのままの感じが、あたしは凄く嬉しくて、心地よくて…。
(…こらこらっ、何を思い出してるの、あたしはっ!)
思わず体を起こし、ぶんぶん、と頭を振って方向が怪しくなってきた思考を慌てて戻す。
(うわ、凄いどきどきしてる…)
落ち着くために、部屋の中を見渡す。片付いてはいるけど、少し埃っぽい。今度掃除でもしてあげようか。
そんなとりとめのないことを考えながら、しばらくぼーっとしていた。
そして再び、ベッドに倒れこむ。
ぼふっ。
「…はぁ…」
あたし、何してるんだろう。
暇だからって、弟の部屋に入って、勝手にベッドに入って、妙な妄想をして。
何だか最近のあたしはおかしい。気がつくと、雪尋のことを考えている。
自分がブラコンであることは、まあ、認めている。でも最近のあたしは、何だか度を過ぎていないだろうか。
こうなったのは、いつからだろうか。最近のような気もするし、ずっと前からこうであったような気もする。
確かなことは、あたしが雪尋を妙に意識しているということ。
もしかして、これは…。
(……まさか、ね……)
この問いかけも、否定も、その後に「だって弟なんだから」と思い出したように付け加えるのも、もう何度目になるのだろう。
でもやっぱり、雪尋のことを考えるのは楽しくて、嬉しくて。
その雪尋の匂いの染み付いたこのベッドは、やっぱりとても心地いい場所であることは確かなのだった。
闇に包まれた部屋に、嗚咽が響く。それは、あたしの声だった。
このベッドで、雪尋に縋り付いて、泣いているあたし。そしてそれを、抱きしめてくれている雪尋。
ああ、これは「あの夜」のあたしだ。雪尋があたしの友達と一緒に遊びに行った日の夜。
その前の日、あたしは雪尋と些細な事でケンカをした。
その友人であるEから、雪尋と遊ぶ約束をした、と聞いたあたしは、そのことを雪尋に問い詰めに行った。…ううん、違う。
「弟君借りるねー」というEのメールが、あたしは何だか凄く面白くなくて、雪尋に八つ当たりをしに行ったのだ。
でも、ちょうど雪尋も機嫌が悪かったみたいで。口ゲンカ、売り言葉に買い言葉、沈黙。
そして仲直りできないまま、雪尋はEと遊びに行ってしまったのだった。
取り残されたあたしは、意地を張って何かしてやろうと思ったけど、結局その日は何も手につかなくて。
何も出来ず、ただ無為に時間を過ごしていた。でもそれは、あたしにとって苦痛の時間だった。
ふと気づくと、雪尋の事が頭に浮かんでしまう。いくら振り払おうとしても、雪尋の事が頭から離れない。
こんなことなら仲直りしておけばよかった、という後悔と。
変に意地を張ってしまった自分に対する、自己嫌悪と。
今雪尋がどこに居るのか、何をしているのかを自分は知らない、という不安と。
…そして、今雪尋のそばにいるEへの嫉妬と。
色々な感情が混じり合って、あたしを苛み続けた。何度、雪尋に会いたくなったかわからない。
感情は雪尋を求めているのに、理性がそれを阻む。あたしの、「姉」としての理性が。
心が引きちぎられそうなその時間は、お母さんが夕飯に呼びに来るまで続いた。
その後、何度か雪尋にメールをしたけど、出来る限り事務的な内容にするように努めた。
そうでないと、あたしのこの感情が溢れ出してしまうから。雪尋に会いたいって、今すぐ会いたいって、言ってしまうから。
夕飯の後は、何も考えないで済むように、雪尋の部屋でゲームをしていた。
ほとんど、画面を見ていなかった。ただ雪尋が帰ってくるまで、何も考えたくなかっただけだ。
途中でふと思い立ち、おにぎりを作った。雪尋は食べてくると言っていたけど、それでも何か、あたしの作ったものを食べさせたかった。
深夜になって、雪尋が帰ってきた。きっとその時、あたしは魂が抜けたようになっていたと思う。
その時のあたしが考えていたのは、たった一つのこと。雪尋と、仲直りしたかった。
「ごめんね」と言ったあたしに、雪尋は「いいよ」って言ってくれた。その時のあたしには、それで十分だった。
でも、部屋に帰ってから、また感情が溢れてきた。昼間に押し隠した感情が、再び形を成して、あたしを責めた。
心が、壊れそうだった。眠ってしまえば忘れると思ったが、そんな状態で寝付けるわけがない。
気がつくと、あたしは雪尋の部屋の前に立っていた。自分の体が、自分の物ではないような気分だった。
ノックをすると、雪尋はまだ起きていた。確認をして、中に入る。そのまま、雪尋のベッドへと強引にもぐりこんだ。
そして雪尋の温もりを感じた瞬間、あたしの心が堰を切ったように溢れ出した。
涙が、止まらなかった。子供のように、うわ言のように、ただ「やだ」を繰り返した。
そう、あたしは嫌だったのだ。雪尋とケンカするのも、雪尋が知らないところへ行くのも、
…雪尋が、あたしじゃない誰かと一緒にいるのも。
そんなあたしに、雪尋はやっぱり優しかった。あたしが落ち着くまで抱きしめてくれて、そして「ごめん」って言った。
違う、謝るのはあたしの方。雪尋が謝ることなんてない。そう言おうと、したけれど。
その時のあたしは、ただ自分を包み込んでくれる雪尋の温もりが嬉しくて、それを感じていたくて。
結局、そのまま寝入ってしまったのだった。あれほどに溢れていた感情は、もう静まっていた。
闇の中で感じた雪尋の匂いと、温もり。それがあれば、あたしはきっといつだって、心から安らぐことができる。
そうだ。そうなのだ。
あたしは雪尋が好き。弟だとか、一人の男としてだとか、そんなの関係ない。ただ、雪尋が雪尋だから好きなのだ。
落ち着かせてくれる匂いが好き。あたしに触れてくれる手が好き。
優しく抱きしめてくれる腕が好き。包み込んでくれる温もりが好き。
雪尋が、好き。
気持ち悪い? 許されない? そんなこと、関係ない。
「好き」って気持ちをごまかせるほど、あたしは器用じゃないし、強くもない。
雪尋の行動一つで、あたしは嬉しくなって、悲しくなって、笑って、泣いて。
悔しいくらい、雪尋に心を持っていかれてる。あたしの全部を、雪尋にあげちゃったみたい。
だから、
ね、雪尋。
ずっと、そばにいてもいい?
ふと、意識が戻った。
(……夢……?)
どうやら、いつの間にか眠っていてしまったらしい。半覚醒状態特有の気だるさが、全身に広がっている。
それにしても、何であの時の夢なんて見たのだろう。あれからもう、随分と経つというのに。
それより、夢の中で何かを考えていたような気がする。それはきっと、凄く大切なこと。
いや、何かに気がついた、と言ったほうが正しいのだろうか。
(……何だっけ……)
でも、寝ぼけた頭では思い出せない。大切なことだったような気がするのに。
とにかく起きなくては。そう自分に言い聞かせ、重い瞼をこじ開ける。
すると、ぼやけた視界に最初に映ったもの。
雪尋の、顔。
「う、うわっ!?」
「ふぇ…?」
何で雪尋がここにいるんだろう。雪尋があたしの部屋に来ることなんてあまり無いのに。…逆はしょっちゅうだけど。
大体、雪尋はバイトに行ったはずじゃ…ああそうか、これはまだ夢なんだ。
全く、これは重症だ。夢にまで見るほど、あたしは雪尋に会いたかったのだろうか。
でもまあ、せっかく雪尋が出てきてくれたのだ。ちょっとくらい好きなことをさせてもらってもいいだろう。
とりあえず、雪尋の顔を引き寄せて。
「姉ちゃん、寝ぼ…んっ!?」
キス。
もう数え切れないほど繰り返したそれは、やっぱり温かくて。
嫌な夢を見た後の憂鬱な気分を全て消し去ってしまう程に、心地よくて。
あたしの中の何かが、満たされていくような。
「……っ、ぷはっ!」
しばらくして、唇を離す。この瞬間は、いつも寂しさを感じる。ずっとしていられたらいいのにな。
「姉ちゃん、いきなり何を…」
「あはは、雪尋真っ赤ー」
「…まだ寝ぼけてんのか…?」
むー、可愛くない反応。どうせ夢だったらこう、もっと可愛かったり格好よかったりしても…。
…夢、だったら?
ふと、思い返してみる。たった今の、キス。
温もりも、感触も、夢にしては生々しかったような…。
…………。
……夢じゃ、ない?
「あれ……雪尋?」
「やっぱり寝ぼけてる…」
大仰にため息をつく雪尋。
徐々に、思考能力が戻ってくる。そして、寝る前の自分の行動を思い出す。
確かあたしは、暇だったから、雪尋の部屋に行って、ベッドに入って、それで…。
(いつの間にか、寝ちゃってたのか…)
ということは、ここは雪尋の部屋。雪尋がいても、何もおかしくは無い。むしろあたしがここにいることの方がおかしい訳で。
「えっと…ごめんね、勝手に寝ちゃって」
「謝るのはそこかよ…」
「えー?…あ、さっきの謝って欲しいの?
…してほしく、なかった?」
「いや、して欲しいとか欲しくないとかそういうことじゃ…、…はぁ。まあいいや。
それより、飯だぞ、飯」
「あー、もうそんな時間? そんなに寝てたんだ…」
だから起こしてくれたのか。時計を見ると、もうすぐ9時になろうとしていた。
…、あれ?
「ねぇ、雪尋?」
「ん? 何、姉ちゃん?」
「確か今日のバイト、8時には上がれるんじゃなかった?
どこか寄り道してたの?」
そうだ、バイト場からここまでは20分もかからないはず。真っ直ぐ帰ってくるなら、8時半前には着いている。
ゲームセンターにでも寄ってきたのなら、もう少し遅くなるだろう。
そう考えて聞いた、何気ない質問のつもりだったんだけど。
何故か突然、雪尋は顔を赤くして背けた。
「あ、うん、ちょっと本屋に、ね」
質問に対する受け答えもどこか怪しい。というか、絶対嘘をついている。
何か隠したいことでもあるのだろうか?
「嘘でしょ」
「う…」
図星。ふふん、お姉ちゃんをなめるなよ。それくらい、簡単に見抜けるんだから。
「じゃあ、何してたの?」
「いや、だから…」
「ごまかし禁止。あたしの目を見て答えなさい」
「うっ…」
顔を真っ赤にして、何だか凄く後ろめたそうにしている。…どうしたんだろう。そんなに、言いたくないことなのかな。
…もしかして、誰かと会っていたとか。あたしじゃない、誰かと。
それって、誰だろう?…まさか、…E? それとも…あたしの知らない人?
どうしよう、雪尋の答えを聞くべきなのだろうか。でも、聞くのが怖い。
本当に、あたしの想像通りだったら。雪尋が、誰か他の人と一緒にいたのなら。
「……てた……」
「え?」
何? 今、なんて言ったの、雪尋?
聞き返すあたしに、雪尋はため息を一つついて、その後大きく息を吸って、言った。
「姉ちゃんの寝顔を見てた、って言ったんだよ…」
「……え?」
えっと……それだけ?
別に誰と会っていた訳でもなくて、寄り道をしたわけでもなくて。
ただあたしの寝顔を見てただけで、夕食の時間になった、ってこと?
一瞬呆けてしまった。が、それが過ぎたら次にこみ上げてきたのは、安堵。
何だろう、凄くホッとした。雪尋が誰かと会っていた訳じゃないっていう、それだけで。
あ、どうしよう。何だか凄くおかしい。嬉しくて、変な勘違いしていた自分が恥ずかしくて。
「…ふ、ふふふっ」
「あ?」
「あはっ、あははははっ」
笑いがこみ上げてくる。どうしよう、止まらないや。
大体冷静に考えてみれば、誰かと会うような時間はないって分かるのに。
何で、そんな事にも頭が回らなかったんだろう。…そんなに、不安だったのだろうか。
胸の中に生まれた複雑な想いを吹き飛ばすように、笑う。
「何だよ、そんなにおかしいかよ…」
雪尋はいきなり笑い出したあたしに呆気にとられたようだけど、自分が笑われていると思ってるようで面白くなさそう。
まあ、いい。雪尋のやった事だって十分おかしいんだから、そういうことにしておこう。
「だ、だって、凄い言い難そうだったから、どんな大変なことかと…あはははっ」
「だから言いたくなかったんだよ…追求しないでくれりゃよかったのに」
ひとしきり笑ったら、段々と落ち着いてきた。
「あー、おかしいなあもう…。大体、寝顔なんて見慣れてるじゃない」
「それは誰かさんがいつも強引に俺の部屋で寝るからだと思うのだが」
「なによー、別にいいじゃない、それくらい」
「ここ、俺の部屋。それ、俺のベッド」
「弟のものは姉のものなのです」
「横暴ここに極まれり…」
「何か言った?」
「いや、何も。それより、飯だぞ」
「うん、今行く」
…でも、その前に。
「雪尋?」
「ん?」
振り向いた雪尋の頬に、手を伸ばして。
それは、さっきのリプレイ。
キス。
「んっ……!?」
うん、やっぱり温かい。何というか、優しい味がする。
でもそれは、切なさを伴う。味わえば味わうほどに、もっともっと欲しくなる。
それは嬉しいけれど、少しだけ怖くて。振り切るように、あたしは唇を離す。
唇を重ねていた時間は、さっきのよりは短かった。
「…ふはぁ」
不意打ちのキスでも、しっかり息を止めている雪尋。…相当、慣れてるのだろうか。いや、あたしが慣らしたのか?
「二度も不意打ちに引っかかるとは、お主もまだまだ未熟よのう」
「…こんな短時間でもう一度仕掛けてくるとは思わないだろ普通。どうしたんだよ今日は?」
「んー? 別にー。
ただ、可愛いことを言ってくれた弟にお礼をしてあげようと思ってー」
「…はぁ。もういいです。先行くぞー」
「うん、すぐ行くから」
顔を赤くしたまま、部屋を出て行く雪尋を見送る。
ドアが閉まって雪尋の姿が見えなくなった途端、一気に顔が赤くなっていくのが分かった。
雪尋の言う通りだ。あたし、どうしちゃったんだろう。
雪尋が誰かと会っていたわけじゃないって分かって安心した途端、急に雪尋が愛しくなった。
…雪尋が、欲しくなった。
もちろん、それは一瞬のこと。自分でかき消せるくらいの、小さなもの。
でも、確かなものでもある。だから、衝動的にキスなんてしてしまったのだ。
ああもう、本当にどうしたというのだ。この感情を、どうしたら静められるのだろう。
…静める? そう、静めなくてはいけない。この感情を、いつまでも抱いていてはいけないのだ。
(だって…)
「…だって、弟なんだから…」
いつものように呟いた、いつもの言葉に伴った、小さな痛みと切なさは、いつものよりも大きくて。
でも。
さっきのキスを思い返してこみ上げてくる嬉しさも、満ち溢れてくる幸せもまた、いつものよりも大きくて。
それらはきっと、さっき見ていた夢のせい。
そんな、気がした。