修学旅行の恋人たち
- 2019/05/16
- 19:06
俺の高校(商業高校)の修学旅行は、奈良と京都で2泊ずつしました。
因みに俺が通っていた高校は、殆ど『女子校』みたいなモノだった(今では男子生徒も多いが)。
他の学年には何人かの男子生徒がいたが、俺の学年では男子は自分1人だけだった。
正確に書くと、入試や合格発表の時にはもう1人男子がいたのだが、辞退して他の高校に行ってしまったのだ。
こう書くと「ハーレムみたいでいいなあ」と言われそうだが(中学の同級生には実際にそう言われた)、決してそういう事はなく、むしろ『蛇の生殺し』状態だった。
パンチラ・ブラチラは日常茶飯事。
特に夏になると、人目も気にせずにスカートをバタバタと煽ったり、ブラウスの第3ボタンあたりまで外して「見せびらかす」様な女子さえいた。
勿論、中には『面白半分』でやっていた女子もいたが・・・。
普段の会話でも「ねえ、ナプキン貸してぇ」とか・・・。
(せめてアレって言えよなあ)
・・・と、聞いているこっちが恥ずかしくなる様な言葉が毎日、機関銃の様に私を襲った。
それも次第に慣れてしまったが・・・。
男性用の大浴場は、俺だけの『完全貸切』(←先生は後から入った)。
食事も、旅行会社が考えたのだろうか、女子生徒と一緒に大広間で食事ではなく、先生達と一緒に『別室』で食事をした。
後で知ったのだが、先生と生徒とでは夕食の内容が極端に違っていたそうだ。
先生の食事には、初日は『活造りの舟盛り』が出たし、後日食べたすき焼きの肉も、霜降りの和牛肉が出た。
当然『ビール』等も出るのだが、俺は「黙認するから飲め」と言われて、ある程度の遠慮をしながらも飲んだ。
まあ、厳しくしている女子の手前、先生も強制的には飲ませなかった。
(それでも『いけないこと』だと思うのだが)
当然、夜は『個室』で寝ることになった。
奈良では、文字通りの『離れ』で寝たのだが、共学校みたく、女子の部屋へ『夜這い』に行くわけにもいかなかった。
生徒が女子だけでも、先生の監視は厳しかったらしい。
だからと言って、長い渡り廊下を介して私の部屋とは反対側にある律子の部屋(律子の部屋は東別館、私の部屋は西別館)にも行けず悶々としていた夜の12時過ぎ・・・。
ドアをノックする音がした。
(見回りの先生でも来たかな・・・)
そう思ってドアを開けると、そこには浴衣と丹前を着た旅行会社の添乗員・律子がいた。
律子は、この高校の卒業生で入社4年目の22歳、背が高く色白で明るい、ポニーテールの似合う女性だ。
移動のバスでの私の座席は、進行方向左側の列、先頭の窓際(1A)であったが、その隣(1B)に、律子が座った。
いつもの修学旅行ならば、ベテランの男性社員が添乗するらしいが、今回は『事実上の女子校』ということや、経験を積ませる意味も込めて律子に白羽の矢が立ったそうである。
律子にとって、大人数の旅行の添乗は初めてということもあり、移動の車内ではいつも会社の資料ばかり見ていた。
だから、せっかく隣に座っても、話らしい話は出来なかった。
律子は、俺の顔を見ると「昼間はお話出来なくてごめんね。私、初めての添乗だから、書類ばかり見ていてとてもそんな余裕なかったの」と言った。
俺は「別にいいですよ。忙しそうだったし、邪魔するのも悪いかなと思ってましたから」と答えた。
すると、律子は「ねえ、今“退屈”してない?」と言ってきた。
当たり前の話だが、手元に資料があるので、俺がここにいることは知っている。
すぐに律子の意図が読めたが、下心を出してはマズイと思い、「まあ、誰も喋る相手がいないし、見たいテレビ番組もないので、退屈と言えば退屈ですが・・・」と答えた。
律子は「そうでしょ。私も退屈してたの。ねえ、先生は来ないだろうから、部屋に入ってもいい?」と言ってきた。
幸いな事にこの『離れ』と、女子や先生が寝ていた『本館』は、だいぶ離れていた。
加えて、俺は一応『模範生』だったし(この旅行の後、生徒会長に推薦された)、先生の方でも「男子が1人では、問題を起こしはしないだろう」と信じ切っていた。
だからかどうかは知らないが、4日間を通じて見回りには1回も来なかった。
俺は、律子を部屋に入れるとカギをかけ、背後に立って浴衣の合わせ目から手を差し込み、ノーブラの胸を揉んだ。
雑誌でしか見たことのない様な大きさの胸を触ったこともあり、俺のムスコはすぐに直立した。
律子も、最初から『そのつもり』で部屋に来たので、全く抵抗しなかった。
そして、お酒くさい律子の唇に俺の唇を重ねた。
「生徒は女ばっかりだし、先生は先生で今頃盛り上がってるし、誰も私のこと相手にしてくれないんだから」
律子はヤケ気味にそう言って舌を絡めてきた。
これが男性の添乗員ならば「一緒に(お酒を)どうぞ」とかなるのだろうが、今回は22歳の女性が添乗、しかも初めてということで、乾杯の後、すぐに「先にお休みになって下さい」と言われて「追い出された」そうだ。
「今夜は一緒に過ごそうね」
律子はそう言って、自ら全裸になった。
律子は、俗に言う『着痩せ』するタイプで、服の上からでは想像できないほど胸が大きかった(108のG)。
ムスメの毛は茶色っぽく、中身はサーモンピンクをベースに茶色と紫を少し混ぜた様な感じだった。
真珠の玉の様なクリトリスを弾くと「いやあーん、律子の一番感じるトコなのよぉ」と、ラブジュースを溢しながら悶えた。
俺も全裸になってムスコをしゃぶらせた。
律子は、まるで風俗嬢の様なテクニックで嬉しそうにしゃぶってくれた。
冗談交じりで「フーゾクにでも勤めた事あるの?」と訊いたら、律子は「やあねえ、高校出てすぐここ(旅行会社)へ入ったんだから、そんな訳ないでしょ」と、ちょっと不機嫌そうに言った。
でも、その表情は嬉しそうだった。
勿論、その巨乳で『パイズリ』もしてもらった。
律子の方も、相手になった男からは「やって欲しい」と言われていたみたいで、上手だった。
そして、ぐっしょりと濡れた律子のムスメに、俺のムスコをぶち込んだ。
お互い、妊娠が怖かったので、律子が用意したゴム付きだったが・・・。
律子は声にならない声を出してよがり、それが一層俺を興奮させた。
さて、奈良の夜は、これだけでは終わらなかった。
2回戦を終えた後、律子が「私の部屋に来てみて」と、自分の部屋へ俺を連れて行った。
部屋に俺を入れると「壁に耳を当ててごらん」と言ったので、その通りにした。
すると、微かではあるが女の喘ぎ声が聞こえた。
「えっ、まさか・・・」と囁くと、律子が「外に出て、覗いてごらん」と言った。
言われるがままに外に出て隣の部屋を覗くと、閉ざされたカーテンの隙間から、夕方迄一緒だったバスガイドと運転手(5人ずつ、計10人)が、文字通りの『乱交パーティー』をしているのが見えた。
特に俺のクラスのバスに乗った、清楚な感じのバスガイド・由紀が、浴衣を肌蹴てほの赤い素肌を晒して運転手の上に跨がって喘ぐ姿に、目が釘付けになった。
他のバスガイドも、運転手に組み敷かれたり、バックで突かれたりして喘ぎまくっていた。
それでいて、翌日には何事もなかったかのように平然と乗務をこなすのだから、別の意味での『プロ』なんだろうと思った。
「凄いでしょ・・・。私の部屋隣で、こちらが静かだから(声が)聞こえちゃうのよ。でも仲間には入れないし、誘ってもくれないの・・・。それで我慢できなくなったから、旅人君を誘ったの」と律子は言った。
勢いに飲まれて、この後もう1発ヤッテしまった。
翌日、よっぽど由紀に夕べのことを言おうかと思ったが、律子が「私だけの旅人君でいて」と言うので、言わないことにした。
もしも「夕べ、見ちゃったよ」とか言っていたら、また違う展開になっていたかもしれない。
因みにこの『パーティー』は、2日目の夜も行われていた。
律子と俺は、昼間でも『離れられない関係』になってしまった。
でも、先生に気付かれたら困るし、相変わらず律子は資料と格闘しているので、バスの中で軽くお尻を触るくらいにした。
律子も『欲求不満』だったので、気付かれない様に黙って触らせてくれた。
3・4日目に泊まった京都のホテルでは、最上階の個室になった。
部屋は律子と同じ階だったが、廊下の端と端に『離ればなれ』になった。
しかし、その間にある客室は『空室』になっていた。
1校だけの『貸切』だったが人数が定員に満たなかったのでと、後で律子から聞いた。
本来ならば、そこに先生が陣取ればいいのかもしれないが、ホテルの構造の関係や、部屋を見回りやすくする為に(予想されていたが、飲酒・喫煙とかがあって大変だったとか)こういう部屋割りになったらしい。
旅行のしおりには部屋割りのページがあるのだが、奈良・京都共に、各階に先生の部屋があった。
「まるで“刑務所”か“ナースステーション(病棟)”だね」と、律子と笑いあった。
勿論、俺の部屋や律子の部屋も印刷されていたが、遠く離れていたので誰も『夜伽』していたとは想像していないだろう。
参考までに京都での食事は、奈良とは違って各部屋への『部屋出し』だったのだが、俺は奈良と同じく、先生や律子と一緒に食べた。
京都のホテルに入る前には「同じ階だからと言って、間違っても“手”を出さない様に」と担任にクギを刺されたが、もう遅い。
仮に奈良での出来事がなかったとしても、同じ階になった以上「やるな」と言う方がムリなのである。
しかも、最上階は2人だけの『貸切』状態である。
それに、最初からそんなことを聞くつもりもなかった。
律子だって、旅行会社の添乗員という『特権』を使って、カギのかかった空室を開けさせることまで考えていた。
いずれにしても奈良と同様、堂々と夜を共にした。
4日間で合計15発やってしまった。
それでも、誰も俺達の『関係』に気付く人はいなかったのだから、この高校の先生は一体どうなっているんだろうと思ったりもした。
4日目・修学旅行最後の夜は、律子も俺も先生の部屋に呼ばれ、皆で『大宴会』となった。
俺は「最後の夜だから飲め」と言われ、付き合わされた。
普段はガードが非常に厳しい簿記の美佐子先生や家庭科の久美先生は、酒の勢いからスカートの奥を見せまくっていた。
結局その晩は、3時頃まで大騒ぎしたと思う。
内心、(先生も大変なんだな)と思った。
さて、旅行中、一緒に寝たのは全て律子の部屋だった(明け方には、俺が部屋へ戻った)。
その理由だが、もし、何か用事があって先生が部屋に来た時に、律子がいないのはマズイのだ。
でも、女性の部屋なので、ノックもせずにいきなり入ってくることは絶対にない(マナーの問題として)。
誰かが来ても、律子が『時間稼ぎ』をしている間に、俺がベランダやトイレ(ユニットバス)に隠れればいいのである。
それに女性の部屋だから、そこまで『家探し』する事もない。
さらにこういうホテルの場合、添乗員が寝る部屋には電話があり(通話はフロント経由で)、用がある時は電話(今ならケータイだろう)で連絡する事になっていた。
そんな『緊急事態』が起こる事は稀だし、先生は俺を信用しきっているから大丈夫だと言う『読み』もあった。
これが今だったら、そうはいかないと思うが・・・。
因みに寝る時も、お互いに『生まれた時の姿』だった。
そして最終日の朝。
「ねえ、旅行が終わってからも逢ってくれる?」と律子は俺に言ってきた。
修学旅行の間だけと思っていた俺は、予想もしなかった『告白』に『二日酔い』も加わってボーッとしていてすぐに答えが出せなかった。
「やっぱり、年上よりも同級生の方がいいかな?」と律子は言った。
「そんなことないよ。ここだけの話、ねーちゃんと関係したこともあるし・・・」と俺は答えた。
俺には、律子と同い年(5学年上)の姉がいるが、俺が中学に入った頃から時々『秘め事』をしていた。
律子は驚いた顔をして、「そうなの?じゃあ、付き合ってくれるの?」と言った。
俺は「うん」とだけ答えた。
やはり、律子のカラダを忘れることが出来なかったのだ。
結果として、出会いから4回目の秋に結婚、今は3人の子供と共に暮らしている。
結婚式では、仲人を務めた担任が、「まさか、お前達が結婚するとは思わなかった」と驚いていた。
余談だが、私の担任は高校時代の律子を受け持った事があったそうだ。
律子の話では、男女を問わず『添乗員』が、『お客(修学旅行なら、引率の先生)』と関係・不倫(まれに結婚)する事も珍しくないそうだ。
今回の修学旅行では、相手は『先生』ではなく『生徒』だったが・・・。
実際、同僚の多くは、自分が添乗した旅行で知り合った人と結婚しているという。
宿舎の構造や生徒の構成という『特殊な条件』が重なったにせよ、今まで書いた中でどれか1つでも違っていたら、今の夫婦関係はなかったかもしれない。
律子もそう思っている。
この秋には、子供達も連れて『思い出の地』へ行く計画も立てている。
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因みに俺が通っていた高校は、殆ど『女子校』みたいなモノだった(今では男子生徒も多いが)。
他の学年には何人かの男子生徒がいたが、俺の学年では男子は自分1人だけだった。
正確に書くと、入試や合格発表の時にはもう1人男子がいたのだが、辞退して他の高校に行ってしまったのだ。
こう書くと「ハーレムみたいでいいなあ」と言われそうだが(中学の同級生には実際にそう言われた)、決してそういう事はなく、むしろ『蛇の生殺し』状態だった。
パンチラ・ブラチラは日常茶飯事。
特に夏になると、人目も気にせずにスカートをバタバタと煽ったり、ブラウスの第3ボタンあたりまで外して「見せびらかす」様な女子さえいた。
勿論、中には『面白半分』でやっていた女子もいたが・・・。
普段の会話でも「ねえ、ナプキン貸してぇ」とか・・・。
(せめてアレって言えよなあ)
・・・と、聞いているこっちが恥ずかしくなる様な言葉が毎日、機関銃の様に私を襲った。
それも次第に慣れてしまったが・・・。
男性用の大浴場は、俺だけの『完全貸切』(←先生は後から入った)。
食事も、旅行会社が考えたのだろうか、女子生徒と一緒に大広間で食事ではなく、先生達と一緒に『別室』で食事をした。
後で知ったのだが、先生と生徒とでは夕食の内容が極端に違っていたそうだ。
先生の食事には、初日は『活造りの舟盛り』が出たし、後日食べたすき焼きの肉も、霜降りの和牛肉が出た。
当然『ビール』等も出るのだが、俺は「黙認するから飲め」と言われて、ある程度の遠慮をしながらも飲んだ。
まあ、厳しくしている女子の手前、先生も強制的には飲ませなかった。
(それでも『いけないこと』だと思うのだが)
当然、夜は『個室』で寝ることになった。
奈良では、文字通りの『離れ』で寝たのだが、共学校みたく、女子の部屋へ『夜這い』に行くわけにもいかなかった。
生徒が女子だけでも、先生の監視は厳しかったらしい。
だからと言って、長い渡り廊下を介して私の部屋とは反対側にある律子の部屋(律子の部屋は東別館、私の部屋は西別館)にも行けず悶々としていた夜の12時過ぎ・・・。
ドアをノックする音がした。
(見回りの先生でも来たかな・・・)
そう思ってドアを開けると、そこには浴衣と丹前を着た旅行会社の添乗員・律子がいた。
律子は、この高校の卒業生で入社4年目の22歳、背が高く色白で明るい、ポニーテールの似合う女性だ。
移動のバスでの私の座席は、進行方向左側の列、先頭の窓際(1A)であったが、その隣(1B)に、律子が座った。
いつもの修学旅行ならば、ベテランの男性社員が添乗するらしいが、今回は『事実上の女子校』ということや、経験を積ませる意味も込めて律子に白羽の矢が立ったそうである。
律子にとって、大人数の旅行の添乗は初めてということもあり、移動の車内ではいつも会社の資料ばかり見ていた。
だから、せっかく隣に座っても、話らしい話は出来なかった。
律子は、俺の顔を見ると「昼間はお話出来なくてごめんね。私、初めての添乗だから、書類ばかり見ていてとてもそんな余裕なかったの」と言った。
俺は「別にいいですよ。忙しそうだったし、邪魔するのも悪いかなと思ってましたから」と答えた。
すると、律子は「ねえ、今“退屈”してない?」と言ってきた。
当たり前の話だが、手元に資料があるので、俺がここにいることは知っている。
すぐに律子の意図が読めたが、下心を出してはマズイと思い、「まあ、誰も喋る相手がいないし、見たいテレビ番組もないので、退屈と言えば退屈ですが・・・」と答えた。
律子は「そうでしょ。私も退屈してたの。ねえ、先生は来ないだろうから、部屋に入ってもいい?」と言ってきた。
幸いな事にこの『離れ』と、女子や先生が寝ていた『本館』は、だいぶ離れていた。
加えて、俺は一応『模範生』だったし(この旅行の後、生徒会長に推薦された)、先生の方でも「男子が1人では、問題を起こしはしないだろう」と信じ切っていた。
だからかどうかは知らないが、4日間を通じて見回りには1回も来なかった。
俺は、律子を部屋に入れるとカギをかけ、背後に立って浴衣の合わせ目から手を差し込み、ノーブラの胸を揉んだ。
雑誌でしか見たことのない様な大きさの胸を触ったこともあり、俺のムスコはすぐに直立した。
律子も、最初から『そのつもり』で部屋に来たので、全く抵抗しなかった。
そして、お酒くさい律子の唇に俺の唇を重ねた。
「生徒は女ばっかりだし、先生は先生で今頃盛り上がってるし、誰も私のこと相手にしてくれないんだから」
律子はヤケ気味にそう言って舌を絡めてきた。
これが男性の添乗員ならば「一緒に(お酒を)どうぞ」とかなるのだろうが、今回は22歳の女性が添乗、しかも初めてということで、乾杯の後、すぐに「先にお休みになって下さい」と言われて「追い出された」そうだ。
「今夜は一緒に過ごそうね」
律子はそう言って、自ら全裸になった。
律子は、俗に言う『着痩せ』するタイプで、服の上からでは想像できないほど胸が大きかった(108のG)。
ムスメの毛は茶色っぽく、中身はサーモンピンクをベースに茶色と紫を少し混ぜた様な感じだった。
真珠の玉の様なクリトリスを弾くと「いやあーん、律子の一番感じるトコなのよぉ」と、ラブジュースを溢しながら悶えた。
俺も全裸になってムスコをしゃぶらせた。
律子は、まるで風俗嬢の様なテクニックで嬉しそうにしゃぶってくれた。
冗談交じりで「フーゾクにでも勤めた事あるの?」と訊いたら、律子は「やあねえ、高校出てすぐここ(旅行会社)へ入ったんだから、そんな訳ないでしょ」と、ちょっと不機嫌そうに言った。
でも、その表情は嬉しそうだった。
勿論、その巨乳で『パイズリ』もしてもらった。
律子の方も、相手になった男からは「やって欲しい」と言われていたみたいで、上手だった。
そして、ぐっしょりと濡れた律子のムスメに、俺のムスコをぶち込んだ。
お互い、妊娠が怖かったので、律子が用意したゴム付きだったが・・・。
律子は声にならない声を出してよがり、それが一層俺を興奮させた。
さて、奈良の夜は、これだけでは終わらなかった。
2回戦を終えた後、律子が「私の部屋に来てみて」と、自分の部屋へ俺を連れて行った。
部屋に俺を入れると「壁に耳を当ててごらん」と言ったので、その通りにした。
すると、微かではあるが女の喘ぎ声が聞こえた。
「えっ、まさか・・・」と囁くと、律子が「外に出て、覗いてごらん」と言った。
言われるがままに外に出て隣の部屋を覗くと、閉ざされたカーテンの隙間から、夕方迄一緒だったバスガイドと運転手(5人ずつ、計10人)が、文字通りの『乱交パーティー』をしているのが見えた。
特に俺のクラスのバスに乗った、清楚な感じのバスガイド・由紀が、浴衣を肌蹴てほの赤い素肌を晒して運転手の上に跨がって喘ぐ姿に、目が釘付けになった。
他のバスガイドも、運転手に組み敷かれたり、バックで突かれたりして喘ぎまくっていた。
それでいて、翌日には何事もなかったかのように平然と乗務をこなすのだから、別の意味での『プロ』なんだろうと思った。
「凄いでしょ・・・。私の部屋隣で、こちらが静かだから(声が)聞こえちゃうのよ。でも仲間には入れないし、誘ってもくれないの・・・。それで我慢できなくなったから、旅人君を誘ったの」と律子は言った。
勢いに飲まれて、この後もう1発ヤッテしまった。
翌日、よっぽど由紀に夕べのことを言おうかと思ったが、律子が「私だけの旅人君でいて」と言うので、言わないことにした。
もしも「夕べ、見ちゃったよ」とか言っていたら、また違う展開になっていたかもしれない。
因みにこの『パーティー』は、2日目の夜も行われていた。
律子と俺は、昼間でも『離れられない関係』になってしまった。
でも、先生に気付かれたら困るし、相変わらず律子は資料と格闘しているので、バスの中で軽くお尻を触るくらいにした。
律子も『欲求不満』だったので、気付かれない様に黙って触らせてくれた。
3・4日目に泊まった京都のホテルでは、最上階の個室になった。
部屋は律子と同じ階だったが、廊下の端と端に『離ればなれ』になった。
しかし、その間にある客室は『空室』になっていた。
1校だけの『貸切』だったが人数が定員に満たなかったのでと、後で律子から聞いた。
本来ならば、そこに先生が陣取ればいいのかもしれないが、ホテルの構造の関係や、部屋を見回りやすくする為に(予想されていたが、飲酒・喫煙とかがあって大変だったとか)こういう部屋割りになったらしい。
旅行のしおりには部屋割りのページがあるのだが、奈良・京都共に、各階に先生の部屋があった。
「まるで“刑務所”か“ナースステーション(病棟)”だね」と、律子と笑いあった。
勿論、俺の部屋や律子の部屋も印刷されていたが、遠く離れていたので誰も『夜伽』していたとは想像していないだろう。
参考までに京都での食事は、奈良とは違って各部屋への『部屋出し』だったのだが、俺は奈良と同じく、先生や律子と一緒に食べた。
京都のホテルに入る前には「同じ階だからと言って、間違っても“手”を出さない様に」と担任にクギを刺されたが、もう遅い。
仮に奈良での出来事がなかったとしても、同じ階になった以上「やるな」と言う方がムリなのである。
しかも、最上階は2人だけの『貸切』状態である。
それに、最初からそんなことを聞くつもりもなかった。
律子だって、旅行会社の添乗員という『特権』を使って、カギのかかった空室を開けさせることまで考えていた。
いずれにしても奈良と同様、堂々と夜を共にした。
4日間で合計15発やってしまった。
それでも、誰も俺達の『関係』に気付く人はいなかったのだから、この高校の先生は一体どうなっているんだろうと思ったりもした。
4日目・修学旅行最後の夜は、律子も俺も先生の部屋に呼ばれ、皆で『大宴会』となった。
俺は「最後の夜だから飲め」と言われ、付き合わされた。
普段はガードが非常に厳しい簿記の美佐子先生や家庭科の久美先生は、酒の勢いからスカートの奥を見せまくっていた。
結局その晩は、3時頃まで大騒ぎしたと思う。
内心、(先生も大変なんだな)と思った。
さて、旅行中、一緒に寝たのは全て律子の部屋だった(明け方には、俺が部屋へ戻った)。
その理由だが、もし、何か用事があって先生が部屋に来た時に、律子がいないのはマズイのだ。
でも、女性の部屋なので、ノックもせずにいきなり入ってくることは絶対にない(マナーの問題として)。
誰かが来ても、律子が『時間稼ぎ』をしている間に、俺がベランダやトイレ(ユニットバス)に隠れればいいのである。
それに女性の部屋だから、そこまで『家探し』する事もない。
さらにこういうホテルの場合、添乗員が寝る部屋には電話があり(通話はフロント経由で)、用がある時は電話(今ならケータイだろう)で連絡する事になっていた。
そんな『緊急事態』が起こる事は稀だし、先生は俺を信用しきっているから大丈夫だと言う『読み』もあった。
これが今だったら、そうはいかないと思うが・・・。
因みに寝る時も、お互いに『生まれた時の姿』だった。
そして最終日の朝。
「ねえ、旅行が終わってからも逢ってくれる?」と律子は俺に言ってきた。
修学旅行の間だけと思っていた俺は、予想もしなかった『告白』に『二日酔い』も加わってボーッとしていてすぐに答えが出せなかった。
「やっぱり、年上よりも同級生の方がいいかな?」と律子は言った。
「そんなことないよ。ここだけの話、ねーちゃんと関係したこともあるし・・・」と俺は答えた。
俺には、律子と同い年(5学年上)の姉がいるが、俺が中学に入った頃から時々『秘め事』をしていた。
律子は驚いた顔をして、「そうなの?じゃあ、付き合ってくれるの?」と言った。
俺は「うん」とだけ答えた。
やはり、律子のカラダを忘れることが出来なかったのだ。
結果として、出会いから4回目の秋に結婚、今は3人の子供と共に暮らしている。
結婚式では、仲人を務めた担任が、「まさか、お前達が結婚するとは思わなかった」と驚いていた。
余談だが、私の担任は高校時代の律子を受け持った事があったそうだ。
律子の話では、男女を問わず『添乗員』が、『お客(修学旅行なら、引率の先生)』と関係・不倫(まれに結婚)する事も珍しくないそうだ。
今回の修学旅行では、相手は『先生』ではなく『生徒』だったが・・・。
実際、同僚の多くは、自分が添乗した旅行で知り合った人と結婚しているという。
宿舎の構造や生徒の構成という『特殊な条件』が重なったにせよ、今まで書いた中でどれか1つでも違っていたら、今の夫婦関係はなかったかもしれない。
律子もそう思っている。
この秋には、子供達も連れて『思い出の地』へ行く計画も立てている。