農作業が終わってから、義母とハマってた
- 2022/02/24
- 18:33
早期退職して、初めて自分のパソコンを購入しました。
最初は、就職とか情報収集のために買いましたが、最近はアダルトや出会い系のことばかりしていますので、家族から頻繁に注意されています。
何でこんなことに興味を持っているかといいますと、実は私は若い頃に家族には到底言えない経験があるからです。
私は60歳代ですが、地元の高校を卒業して名古屋に就職していましたが、実家に父が病気が再発し入院することになり、急遽九州の地元に帰って農業を継ぐことになりました。
私の母は親父と喧嘩が絶えず、家出状態が続き結局、新しい男の人ができて、時間はかかりましたが親父と離婚し、今は関東で幸せに暮らしています。
親父は、離婚成立と同時に、親戚や友人から農業は一人ではできないとして、見合いを勧められ今の義母が嫁いできました。
私は、実の母と連絡を取っていましたので、義母になじめず就職も遠くの名古屋に決めました。
でも、入院している親父が、農家の長男として私に実家に帰るよう言いましたので、帰って農業と農協の臨時職員として働いていました。
家には、親父と義母との間に二人の妹達がいますが姉は夜遊びの天才で朝起きができませんし、妹は引きこもりの様な状態でした。
農作業は朝から夜まで義母と二人で頑張っていましたが、限界を感じましたので、借金をして機械化するようにしました。
耕運機から自動車のように乗って耕せるトラクターを買い、田植え機会や稲の収穫を全部できるコンバイン等を購入しました。
そしたら、農作業の中でも女性の仕事が軽減され母は大喜びでした。
機械化した初めての稲の収穫のとき母に、
「ここは俺が全部するから、母ちゃんは家に帰って食事の準備をして」
と言いましたら、母は、
「子供達が待ってるから帰るけど、本当に助かるね」
と言って喜んで帰りました。
コンバインを田んぼにおいて、軽トラ農協に収穫の稲を運んで家に帰ってきて、離れの風呂に直行しましたら母が「お疲れさん」と缶ビールを持ってきて乾杯しながら飲み干しました。
そして、母が私の背中を流すとしつこく言うものですから、恥ずかしい気持ちを抑えて受け入れました。
でもその時は、今まで誰からも背中を洗ってもらった覚えがなかったので、気持ちが良かったのと嬉しかった気持ちで一杯だったのを覚えています。
秋の刈り入れが終わるまで、毎日のように母からビールで乾杯と背中を流してもらいました。このことが、私と義母の心の垣根が取れたような気がします。
いよいよ収穫の最終日になりましたので、その日は農機具の整備などで二人とも仕事が夜までになり、母の疲れが限界でしたので、先にお風呂に入るよう言い、私もバタバタ片付けました。
そして、離れの風呂場に言って母に「母ちゃんお疲れさん、はいビール」と言って乾杯しました。
母は「今日は特別においしいね」と言って「もう一回乾杯しよう」と甘える声で言いましたので「はいはい、ではもう一回乾杯。お疲れさん」と言いましたら、「はいは一回でいい」と言いましたので二人で大笑いしました。
それから今度は私が「母の背中を流す」と言いましたら、母は「もう時間がないから一緒に入って夕食しましょう」言ったので私も服を脱いで、母の背中を洗いました。
母は酔った赤い顔をして「お婆ちゃんの体でしょう?」と聞いてきましたので「いや、肌が白くてスベスベして、立派な女性だよ」と言いましたら、母の出が私の足を触ってきました。
母は「はい交代、今度は私が洗ってあげる」と言って体全体を洗ってくれました。
その時、母のオッパイや体全体を私にくっつけて洗っていましたので、私の下半身はパンパンになっていました。
私は両手で下半身を隠していましたが、母は、
「今日は全部私にあらわせて、男がこうなるのは健康な証拠よ。私もまだ大丈夫だよね。あなたが家に帰って来てくれた事と機会を買ってくれたことが、私は嬉しいの。あなたは私の子供以上で、男として私が出会った男の中で最高の人よ」
と言って小さな体で私を抱きしめてくれました。
私も、生まれて初めて女性から「好き」と言われたことがなかったので母を強く抱きしめました。
その夜は、それ以上の関係にはなりませんでしたが、翌朝、母の顔をまともに見れませんでした。
次の日は、農作業も一区切りついたので、風呂場で母の背中を流すことは無いと思っていましたら、母が「今日も一緒にお風呂に入ろうね」と言ってくれたので大喜びしました。
その夜も、妹の姉のほうは夜遊びで家にはいなくて、下の妹は母屋の自分お部屋に入ったきりでした。
母は、その日は缶ビールを何本も持ち込んでゆっくり話をしたいと言いましたので、ビールを飲みながら、家のことや妹達のこと、親父が回復の見込みが無いこと、私の結婚の事など色々と話をしているうちに酔いが回ってきたので、風呂に入りました。
すると母はビールを風呂に持ってきて「私のビールを飲んでくれる?」と言って口にビールを含んで私に口移ししてきました。
「おいしかった?」と言うと同時にもう一回口移しをして、そのままキスをしました。
今度は「私にビールを頂戴?」と母が言いましたので「うん」と言ってしましたらそのまま長い口付けをしました。母は「これで、おあいこね」と言って抱き合いました。
それから、お風呂では深い関係にはなりませんでしたが、興奮していたので具体的にどうしていたのかハッキリと覚えていませんが、母は二人だけに秘密と絶対誰にも言わないことを何度も約束しました。その度にキスをしていたように思います。
風呂から上がって、親父の部屋に入りましたら部屋が様変わりしていましたに驚きました。母は、布団に入ってもしつこく秘密を守るように小さな声で言っていました。
私は、あっという間にいってしまいました。
母は「本当に初めてだったのね」と言いましたが、私は2回目からは気持ちが変わり、私から朝方まで抱き続けました。
母は、私が何回もできることに驚いていました。
翌年、親父が死んで相続も大変でしたが母と乗り切ってきました。
私は、本当は若い女の子と恋愛するのが普通だと思いますが、当時は母親の愛情に憧れていたのかの知れません。
母は、部屋を思いっきり作り変え、ベッドにして、私は中古の車を買って母とドライブしましたし、車の中で一泊旅行もしました。
義母は、体は小さく顔もスタイルも普通ですが、とにかく私を実の子供(妹達)以上に愛してくれました。
今は、母方の親戚の紹介で結婚した嫁と子供達と幸せな生活をしています。
今は亡き、義母に心から愛を捧げます。
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最初は、就職とか情報収集のために買いましたが、最近はアダルトや出会い系のことばかりしていますので、家族から頻繁に注意されています。
何でこんなことに興味を持っているかといいますと、実は私は若い頃に家族には到底言えない経験があるからです。
私は60歳代ですが、地元の高校を卒業して名古屋に就職していましたが、実家に父が病気が再発し入院することになり、急遽九州の地元に帰って農業を継ぐことになりました。
私の母は親父と喧嘩が絶えず、家出状態が続き結局、新しい男の人ができて、時間はかかりましたが親父と離婚し、今は関東で幸せに暮らしています。
親父は、離婚成立と同時に、親戚や友人から農業は一人ではできないとして、見合いを勧められ今の義母が嫁いできました。
私は、実の母と連絡を取っていましたので、義母になじめず就職も遠くの名古屋に決めました。
でも、入院している親父が、農家の長男として私に実家に帰るよう言いましたので、帰って農業と農協の臨時職員として働いていました。
家には、親父と義母との間に二人の妹達がいますが姉は夜遊びの天才で朝起きができませんし、妹は引きこもりの様な状態でした。
農作業は朝から夜まで義母と二人で頑張っていましたが、限界を感じましたので、借金をして機械化するようにしました。
耕運機から自動車のように乗って耕せるトラクターを買い、田植え機会や稲の収穫を全部できるコンバイン等を購入しました。
そしたら、農作業の中でも女性の仕事が軽減され母は大喜びでした。
機械化した初めての稲の収穫のとき母に、
「ここは俺が全部するから、母ちゃんは家に帰って食事の準備をして」
と言いましたら、母は、
「子供達が待ってるから帰るけど、本当に助かるね」
と言って喜んで帰りました。
コンバインを田んぼにおいて、軽トラ農協に収穫の稲を運んで家に帰ってきて、離れの風呂に直行しましたら母が「お疲れさん」と缶ビールを持ってきて乾杯しながら飲み干しました。
そして、母が私の背中を流すとしつこく言うものですから、恥ずかしい気持ちを抑えて受け入れました。
でもその時は、今まで誰からも背中を洗ってもらった覚えがなかったので、気持ちが良かったのと嬉しかった気持ちで一杯だったのを覚えています。
秋の刈り入れが終わるまで、毎日のように母からビールで乾杯と背中を流してもらいました。このことが、私と義母の心の垣根が取れたような気がします。
いよいよ収穫の最終日になりましたので、その日は農機具の整備などで二人とも仕事が夜までになり、母の疲れが限界でしたので、先にお風呂に入るよう言い、私もバタバタ片付けました。
そして、離れの風呂場に言って母に「母ちゃんお疲れさん、はいビール」と言って乾杯しました。
母は「今日は特別においしいね」と言って「もう一回乾杯しよう」と甘える声で言いましたので「はいはい、ではもう一回乾杯。お疲れさん」と言いましたら、「はいは一回でいい」と言いましたので二人で大笑いしました。
それから今度は私が「母の背中を流す」と言いましたら、母は「もう時間がないから一緒に入って夕食しましょう」言ったので私も服を脱いで、母の背中を洗いました。
母は酔った赤い顔をして「お婆ちゃんの体でしょう?」と聞いてきましたので「いや、肌が白くてスベスベして、立派な女性だよ」と言いましたら、母の出が私の足を触ってきました。
母は「はい交代、今度は私が洗ってあげる」と言って体全体を洗ってくれました。
その時、母のオッパイや体全体を私にくっつけて洗っていましたので、私の下半身はパンパンになっていました。
私は両手で下半身を隠していましたが、母は、
「今日は全部私にあらわせて、男がこうなるのは健康な証拠よ。私もまだ大丈夫だよね。あなたが家に帰って来てくれた事と機会を買ってくれたことが、私は嬉しいの。あなたは私の子供以上で、男として私が出会った男の中で最高の人よ」
と言って小さな体で私を抱きしめてくれました。
私も、生まれて初めて女性から「好き」と言われたことがなかったので母を強く抱きしめました。
その夜は、それ以上の関係にはなりませんでしたが、翌朝、母の顔をまともに見れませんでした。
次の日は、農作業も一区切りついたので、風呂場で母の背中を流すことは無いと思っていましたら、母が「今日も一緒にお風呂に入ろうね」と言ってくれたので大喜びしました。
その夜も、妹の姉のほうは夜遊びで家にはいなくて、下の妹は母屋の自分お部屋に入ったきりでした。
母は、その日は缶ビールを何本も持ち込んでゆっくり話をしたいと言いましたので、ビールを飲みながら、家のことや妹達のこと、親父が回復の見込みが無いこと、私の結婚の事など色々と話をしているうちに酔いが回ってきたので、風呂に入りました。
すると母はビールを風呂に持ってきて「私のビールを飲んでくれる?」と言って口にビールを含んで私に口移ししてきました。
「おいしかった?」と言うと同時にもう一回口移しをして、そのままキスをしました。
今度は「私にビールを頂戴?」と母が言いましたので「うん」と言ってしましたらそのまま長い口付けをしました。母は「これで、おあいこね」と言って抱き合いました。
それから、お風呂では深い関係にはなりませんでしたが、興奮していたので具体的にどうしていたのかハッキリと覚えていませんが、母は二人だけに秘密と絶対誰にも言わないことを何度も約束しました。その度にキスをしていたように思います。
風呂から上がって、親父の部屋に入りましたら部屋が様変わりしていましたに驚きました。母は、布団に入ってもしつこく秘密を守るように小さな声で言っていました。
私は、あっという間にいってしまいました。
母は「本当に初めてだったのね」と言いましたが、私は2回目からは気持ちが変わり、私から朝方まで抱き続けました。
母は、私が何回もできることに驚いていました。
翌年、親父が死んで相続も大変でしたが母と乗り切ってきました。
私は、本当は若い女の子と恋愛するのが普通だと思いますが、当時は母親の愛情に憧れていたのかの知れません。
母は、部屋を思いっきり作り変え、ベッドにして、私は中古の車を買って母とドライブしましたし、車の中で一泊旅行もしました。
義母は、体は小さく顔もスタイルも普通ですが、とにかく私を実の子供(妹達)以上に愛してくれました。
今は、母方の親戚の紹介で結婚した嫁と子供達と幸せな生活をしています。
今は亡き、義母に心から愛を捧げます。