私は継母に童貞を奪われ性の玩具にされていました[エロ話まとめ]
- 2014/03/15
- 08:51
私が小学6年生の頃に両親が離婚、私は父親に引き取られました。
翌年、父は16歳年下で私の一回り上の若い継母を連れて来ました。多感な中学時代、父と継母の営みの音のする中で勉強していました。
私が高校受験勉強を始めた頃、私は継母に童貞を奪われ性の玩具にされていました。
そして、私の子か父の子かわからない子供を出産しました。私は、逃げるように東京の大学へ進学しました。
私が東京の大学に進学した理由の一つに、実母に会う目的がありました。
私の住むアパートよりも古いアパートに母は住んでいました。
突然訪ねたので、母はうろたえるように驚いていました。
6年ぶりに会った母は45歳、とても綺麗な淑女でした。近況を話しながら一緒にご飯を食べて、夜8時頃帰りました。
「勇人、頑張るんだよ。」
「時々、来てもいいかな。」
夏休み、私は出来のよろしくない中学生相手の塾講師のバイトをしていたので、それを理由に故郷へは帰らず、母と過ごしました。
母はサ○ッ○でレジ打ちをして働いていました。
お盆前、あまり飲んだことの無いビールを母と飲んで…
「勇人、止めなさい、お母さんだよ…アアッ…アハー…酔っ払ってるのかい、勇人ったら…ンンー」
母の股間に滑らせた中指はヌルヌルになり、母が喘いでいました。
かなりほぐれたので血縁肉棒を肉穴に添えました。
「ダ、ダメよ、それだけはダメ、」
抵抗する母を押さえつけて、挿入しました。
「アア~…ダメェ~…ハアア………ハア、ハア…」
母の肉穴は暖かく、とても気持ちが良かったのです。
私は一度離れて、母を素っ裸にしました。一人で働いて暮らす母は贅肉など無い色っぽい体をしていました。
もう、すっかり抵抗する気が失せた母は、私の肉棒を受け入れて快感を味わっていました。
あまり大きいとは言えない乳房を揺らして、恍惚の表情を浮かべました。
「母さん、出る!」
母のおなかに射精しました。
「勇人、あんた手馴れてるね。誰にこんなこと教わったんだい。まさか…」
その後私は、定期的に母を抱くようになりました。
母の女陰は継母のそれよりも美しく、父があまり母の相手をしていなかったことを物語っていました。
私は、母をクンニでアクメさせて、肉棒でもアクメに導きました。
1年も過ぎると、母はすっかり性の快楽に酔い痴れ、息子の肉棒を悦んで受け入れるようになっていました。
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翌年、父は16歳年下で私の一回り上の若い継母を連れて来ました。多感な中学時代、父と継母の営みの音のする中で勉強していました。
私が高校受験勉強を始めた頃、私は継母に童貞を奪われ性の玩具にされていました。
そして、私の子か父の子かわからない子供を出産しました。私は、逃げるように東京の大学へ進学しました。
私が東京の大学に進学した理由の一つに、実母に会う目的がありました。
私の住むアパートよりも古いアパートに母は住んでいました。
突然訪ねたので、母はうろたえるように驚いていました。
6年ぶりに会った母は45歳、とても綺麗な淑女でした。近況を話しながら一緒にご飯を食べて、夜8時頃帰りました。
「勇人、頑張るんだよ。」
「時々、来てもいいかな。」
夏休み、私は出来のよろしくない中学生相手の塾講師のバイトをしていたので、それを理由に故郷へは帰らず、母と過ごしました。
母はサ○ッ○でレジ打ちをして働いていました。
お盆前、あまり飲んだことの無いビールを母と飲んで…
「勇人、止めなさい、お母さんだよ…アアッ…アハー…酔っ払ってるのかい、勇人ったら…ンンー」
母の股間に滑らせた中指はヌルヌルになり、母が喘いでいました。
かなりほぐれたので血縁肉棒を肉穴に添えました。
「ダ、ダメよ、それだけはダメ、」
抵抗する母を押さえつけて、挿入しました。
「アア~…ダメェ~…ハアア………ハア、ハア…」
母の肉穴は暖かく、とても気持ちが良かったのです。
私は一度離れて、母を素っ裸にしました。一人で働いて暮らす母は贅肉など無い色っぽい体をしていました。
もう、すっかり抵抗する気が失せた母は、私の肉棒を受け入れて快感を味わっていました。
あまり大きいとは言えない乳房を揺らして、恍惚の表情を浮かべました。
「母さん、出る!」
母のおなかに射精しました。
「勇人、あんた手馴れてるね。誰にこんなこと教わったんだい。まさか…」
その後私は、定期的に母を抱くようになりました。
母の女陰は継母のそれよりも美しく、父があまり母の相手をしていなかったことを物語っていました。
私は、母をクンニでアクメさせて、肉棒でもアクメに導きました。
1年も過ぎると、母はすっかり性の快楽に酔い痴れ、息子の肉棒を悦んで受け入れるようになっていました。